クントゥヴディ
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クントゥヴディ(ロシア語: Кунтувдей、12世紀後半)はトルク族の軍司令官である[1]。
1183年、ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリによるポロヴェツ族への遠征に、チョールヌィ・クロブキ隊を率いて参加した[2][1]。1185年には、ホロール川の戦い(ru)で敗走したポロヴェツ族のコンチャークを追撃するが、捕縛は成せなかった[3]。
1190年、讒言により、スヴャトスラフに捕縛された[2][4]。リューリクの仲裁により解放されたが、クントゥヴディはポロヴェツ族のトグリイの元へ奔った。その後、ポロヴェツ族と共にスヴャトスラフへの報復攻撃を行ったが、リューリクの子ロスチスラフに撃退された[5]。また、同年冬にはトヴァロフ(ru)でスヴャトスラフの子グレプに敗れ、逃走した[6]。
出典
[編集]- ^ a b 中澤ほか 2018, p. 190.
- ^ a b Кун-тугды или Кунтувдей // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ 中澤ほか 2018, p. 204.
- ^ 中澤ほか 2018, p. 247.
- ^ 中澤ほか 2018, p. 251.
- ^ 中澤ほか 2018, p. 253.
参考文献
[編集]- 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、181-279頁、CRID 1390572174764448768、doi:10.15099/00018264、hdl:10110/00018264、ISSN 03865975。