クリフトン・シェニエ
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クリフトン・シェニエ Clifton Chenier | |
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クリフトン・シェニエ(1977年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1925年6月25日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ルイジアナ州オペルーサス |
死没 | 1987年12月12日(62歳没) |
ジャンル | ザディコ、ケイジャン、クレオール、R&B、スワンプ・ブルース |
職業 | ミュージシャン、ソングライター |
担当楽器 | ボーカル、アコーディオン、ウォッシュボード |
活動期間 | 1954年 - 1987年 |
レーベル | エルコ・レコード、スペシャルティ・レコード、チェス、アーフーリー、アリゲーター |
共同作業者 | サディコ・ランブラーズ、ロッド・バーナード、C・J・シェニエ |
クリフトン・シェニエ(Clifton Chenier、1925年6月25日 - 1987年12月12日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州オペルーサス出身のザディコのアーティスト(アコーディオン、ボーカル)。
来歴
[編集]ザディコ音楽のルーツの一人で、「キング・オブ・ザディコ」と称される。ルイジアナ州のトラディショナルなクレオール、ケイジャンなどのサウンドをブルース、ニューオーリンズR&Bなどと融合させることにより新たなサウンドを開拓した。1925年、ルイジアナ州の都市オペルーサスで生まれる。1954年にデビュー。シェニエは、レイ・チャールズ、エタ・ジェイムズ、ローウェル・フルソンらとツアーを行い、クラレンス・ガーロウとも共演した[1]。
また、スペシャルティ、アーフーリーなどのレーベルから作品を発表した。1983年にはアルバム『I'm Here』でグラミー賞を受賞。1984年には、ホワイトハウスでも演奏をおこなった。
彼は1987年に62歳で死去した。その後、彼のバンド、レッド・ホット・ルイジアナ・バンドは、息子のC・J・シェニエがリーダーを引き継ぎ、活躍中である。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- Cliston's Blues (1954年、Elko)
- Ay-Tete Fi (1955年、Specialty)
- 『ルイジアナ・ブルース&ザディコ』 - Louisiana Blues & Zydeco (1965年、Arhoolie)
- Bon Ton Roulet! (1967年、Arhoolie)
- 『バイユー・ブルース』 - Bayou Blues (1971年、Specialty) ※コンピレーション
- Bogalusa Boogie (1975年、Arhoolie)
- 『フレンチン・ザ・ブギ』 - Frenchin' the Boogie (1976年、Blue Star)
- Boogie in Black and White (1976年、Jin) ※with ロッド・バーナード
- Clifton Chenier And His Red Hot Louisiana Band (1977年、Arhoolie)
- 『ルイジアナ・バンド・イン・ニュー・オーリンズ』 - In New Orleans (1978年、GNP Crescendo)
- Boogie & Zydeco (1979年、Sonet)
- I'm Here (1982年、Alligator)
脚注
[編集]- ^ “Clarence Garlow”. Yee.ch. 2 December 2021閲覧。