クリス・ルイス
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基本情報 | ||||
国籍 | ニュージーランド | |||
出身地 | オークランド | |||
生年月日 | 1957年3月9日(67歳) | |||
身長 | 180cm | |||
体重 | 70kg | |||
利き手 | 右 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1973年 | |||
引退年 | 1986年 | |||
ツアー通算 | 11勝 | |||
シングルス | 3勝 | |||
ダブルス | 8勝 | |||
生涯通算成績 | 425勝365敗 | |||
シングルス | 242勝204敗 | |||
ダブルス | 183勝161敗 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 3回戦(1981) | |||
全仏 | 3回戦(1977) | |||
全英 | 準優勝(1983) | |||
全米 | 3回戦(1982) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(1980) | |||
全仏 | ベスト8(1982) | |||
全英 | ベスト8(1981) | |||
全米 | 2回戦(1981) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 19位 | |||
ダブルス | 46位 | |||
クリス・ルイス(Chris Lewis, 1957年3月9日 - )は、ニュージーランド・オークランド出身の元男子プロテニス選手。
1983年のウィンブルドン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは19位。ATPツアーでシングルス3勝、ダブルス8勝を挙げた。身長180cm、体重70kg、右利き。
経歴
[編集]クリス・ルイスは1977年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのニュージーランド代表選手となり、彼の時代にニュージーランド・チームはデ杯で最高水準の成績を出した。当時のニュージーランドは、デ杯の「東洋ゾーン」(Eastern Zone)に所属していた。(現在の名称は「アジア・オセアニア・ゾーン」“Asia / Oceania Zone”となっている。)ニュージーランドは1980年まで「東洋ゾーン」決勝でオーストラリア・チームの厚い壁にぶつかっていたが、1981年から世界最上位の16ヶ国による「ワールドグループ」に昇格する。1982年にニュージーランドは国の最高成績を出し、ワールドグループ準決勝に勝ち進んだが、ヤニック・ノアやアンリ・ルコントなどの強豪選手を擁するフランス・チームに「2勝3敗」で敗れた。1983年のデ杯ワールドグループでは、ニュージーランドは準々決勝でスウェーデンに敗れている。しかし、1984年のワールドグループ1回戦で敗退したニュージーランドは「ワールドグループ・プレーオフ」でもエクアドル・チームに敗れたため、1985年は「東洋ゾーン」に後退する。ルイスの引退後は、ニュージーランド・チームは全盛時代の輝きを失い、現在は「アジア・オセアニア・ゾーン」の下位グループにいる。
ルイスがウィンブルドン男子シングルス決勝に進出した1983年は、デビスカップでニュージーランドが「ワールドグループ」で上位争いに加わっていた最盛期の時期にあたる。ルイスは決勝戦で、4年連続のウィンブルドン決勝進出となった世界ランキング1位のジョン・マッケンローに挑戦したが、王者の前に全く歯が立たず 2-6, 2-6, 2-6 のストレートで敗れて準優勝に終わり、ニュージーランドのテニス選手としてアンソニー・ワイルディング(1883年 - 1915年)以来のウィンブルドン優勝はならなかった。
ルイスの他の4大大会シングルス成績は、全豪オープン・全仏オープン・全米オープンのいずれも3回戦止まりに終わっている。男子ダブルスでは全米オープン以外の3大会でベスト8に進出した。
クリス・ルイスは1985年のシーズンを最後に男子テニスツアー大会を退き、全豪オープン2回戦敗退が最後のトーナメント参戦になった。彼の現役最後の試合は、1986年3月7日-9日にかけて故郷のオークランドで行われたデビスカップ・ワールドグループ1回戦だった。ニュージーランドはオーストラリアに1勝4敗で敗れ、ルイスはシングルス2試合でピーター・マクナマラとポール・マクナミーの両選手にストレート負けした。ルイスの引退と同時に、ニュージーランドのデ杯での黄金時代も幕を閉じた。