クリスティアン・サーキーズ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
クリスティアン・ロナルド・サーキーズ Kristian Ronald Sarkies | |||||
ラテン文字 | Kristian Sarkies | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1986年10月25日(38歳) | |||||
出身地 | メルボルン | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ハイデンベルク・ユナイテッドFC | |||||
ポジション | MF (OH) | |||||
背番号 | 9 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2003-2004 2005-2007 2007-2010 2010-2012 2012- |
サウス・メルボルン メルボルン・ビクトリー アデレード・ユナイテッド メルボルン・ハート ハイデンベルク・ユナイテッド |
17 (1) 35 (3) 33 (2) 12 (2) 4 (1) | ||||
代表歴2 | ||||||
2003 2004-2005 2006-2008 2006–2008 |
オーストラリア U-17 オーストラリア U-20 オーストラリア U-23 オーストラリア |
13 (4) 14 (6) 21 (8) 2 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月6日現在。 2. 2008年6月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クリスティアン・ロナルド・サーキーズ(Kristian Ronald Sarkies、1986年10月25日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF(オフェンシブハーフ)。
経歴
[編集]サウス・メルボルンFCでキャリアを始めた後、メルボルン・ビクトリーFC所属時の2006-07シーズンのグランドファイナルで長距離から3点目を決め、アデレード・ユナイテッドFCに6-0で勝利した。優勝メダル授与の際に首相のジョン・ハワードのハゲ頭にキスをしたことが国中の話題になった[1]。
アデレード.U
[編集]2007年3月30日、U-23代表の同僚ブルース・ジテ, ネイサン・バーンズ, ロバート・コーンスウェイトと共にアデレード・ユナイテッドに移籍した。また、加入翌日にキャプテンのロス・アロイージは、後進に道を譲るため新参戦のウェリントン・フェニックスFCへ去っていった。12月28日、アデレード・オーバルにシドニーFCを迎えサーキーズがゴールを決めるも1-3で敗れた試合で、試合中に腕の痛みを訴えた[2]。その結果、12月の終わりに深部静脈血栓症 (DVT)と診断され入院を余儀なくされた[3]。
2008年5月、クラブと2009-10シーズン終了まで契約を延長した[4]。11月22日のシドニーFC戦でサーシャ・オグネノヴスキのゴールをフリーキックでアシストし、自身のAリーグ出場50試合目を2-0の勝利で飾った。アデレードでは前途多難なスタートを切ったが、司令塔のジエゴ・ウォルシュを負傷で欠いた第17節パース・オーバルでのパース・グローリーFC戦で穴を埋める活躍を見せ、移籍後初ゴールにして唯一のゴールを決め1-0の勝利に貢献とチームに影響を与える選手と証明した。さらに、1週間後の2009年1月3日、アデレード・オーバルで2-0と勝利したシドニーFC戦で両方のゴールをアシストした[5]。
メルボルン.V
[編集]アデレード加入1年目の怪我の影響からなかなかレギュラーを掴めずにいたサーキーズは、2010-11シーズンにAリーグに参戦するメルボルン・ハートFCに移籍することを決意。2009年11月24日、クラブと最初に契約を結んだことが確認された[6]。2012年4月6日、退団することが発表された[7]。
その後、ビクトリア州リーグのハイデンベルク・ユナイテッドFCに参加していることが確認された[8]。
代表
[編集]U-23代表としては、2008年北京オリンピックのサッカー競技・アジア予選1次予選ハインドマーシュ・スタジアムのチャイニーズタイペイ戦で4ゴールを決め11-0で勝利する[9]等し、本大会進出に貢献。本大会のメンバーにも選ばれ、グループステージ2試合に出場した。
2006年6月7日、リヒテンシュタインとの親善試合にフース・ヒディンク監督の下でオーストラリア代表デビューし、3-1で勝利した。同年の2006 FIFAワールドカップのメンバーにはなれなかったもののバックアップに選出された。その後、ヒディンク監督から個人的な招待を受け、グループステージの日本戦が終わるまでチームと共にドイツに滞在していた。
所属クラブ
[編集]- サウス・メルボルンFC 2003–2004
- メルボルン・ビクトリーFC 2005–2007
- アデレード・ユナイテッドFC 2007–2010
- メルボルン・ハートFC 2010-2012
- ハイデンベルク・ユナイテッドFC 2012-
脚注
[編集]- ^ "Why I kissed the PM"
- ^ "Injury-ravaged Reds lose Sarkies"
- ^ "Sarkies On Road To Recovery"
- ^ "New deals for Sarkies, Barbiero"
- ^ "Adelaide United add to Sydney FC's misery with a 2-0 win at Adelaide Oval"
- ^ "Melbourne Heart confirm Sarkies and Thompson signings"
- ^ "Melbourne Heart set to lose seven players"
- ^ "South ease pressure with derby win"
- ^ "Australia 11-0 Chinese Taipei"
外部リンク
[編集]- transfermarkt
- クリスティアン・サーキーズ - National-Football-Teams.com
- クリスティアン・サーキーズ – FIFA主催大会成績