コンテンツにスキップ

クラーク・ゲーブル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Clark Gable
クラーク・ゲーブル
クラーク・ゲーブル
クラーク・ゲーブルの宣材写真
本名 William Clark Gable
生年月日 (1901-02-01) 1901年2月1日
没年月日 (1960-11-16) 1960年11月16日(59歳没)
出生地 オハイオ州カーディス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優
配偶者 ジョセフィーン・ディロン (1924-1930)
レアー・ラングハム・デイヴィス (1931-1939)
キャロル・ロンバード (1939-1942)
シルヴィア・アシュリー英語版 (1949-1952)
ケイ・ウィリアムズ (1955-1960)
著名な家族 ジョン・クラーク・ゲーブル(息子, 1961-)
クラーク・ジェームズ・ゲーブル英語版(孫, 1988-2019)
ジュディ・ルイス英語版(婚外子, 1935-2011)
バンカー・スプレッケルズ英語版(継息子, 1949-1977)
主な作品
或る夜の出来事』(1934年)
戦艦バウンティ号の叛乱』(1935年)
風と共に去りぬ』(1939年)
モガンボ』(1953年)
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1934年或る夜の出来事
その他の賞
テンプレートを表示

クラーク・ゲーブルClark Gable, 1901年2月1日 - 1960年11月16日)は、アメリカ合衆国映画俳優第二次世界大戦前後の時代を代表するビッグスター。なおゲーブルは十代の一時期、父親の名前を自分の名前に冠して「ウィリアム・クラーク・ゲーブル」としていた頃があったが、これはすぐに止めている。

経歴

[編集]

生い立ち

[編集]

ゲーブルはオハイオ州カーディスで生まれた。両親は共にドイツ系移民の子孫であった[1]。父親ウィリアムは石油の採掘業者、母アデレインは探鉱者だったがゲーブルが10ヵ月の時に死亡した。彼は16歳で高校を辞め工員として働いた。

俳優へ

[編集]

劇場で見た演劇に感動し俳優になる決心をし、オレゴン州ポートランドで地元の劇団に加わり、店員として働く傍ら巡業公演を行った。1924年に劇場支配人で俳優の演技指導の講師でもあったジョセフィーン・ディロンと出会い、彼女はゲイブルのパトロン兼恋人になった。ジョゼフィーンは美人とは程遠い女性であったが、スタンフォード大学を卒業した教養のあるインテリであり、金銭的にも余裕が有った。彼女はゲイブルの演技指導や発声方法のトレーニングだけでなく、歯の矯正代を負担したり、生活費の面倒まで見ていた。 そしてゲイブルはジョゼフィーンの金銭的援助を受けてカリフォルニア州ロサンゼルスハリウッドへ行った。なおジョセフィーンはゲーブルよりも14歳年上で、彼らはハリウッドで結婚した。

スター

[編集]

ハリウッドでは端役での映画出演を行ったが、その後舞台演劇に戻った。『マシナル』などの舞台での活動が、大手映画製作会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の幹部の目にとまり、1930年に契約し翌年から多くの映画に出演、「キング・オブ・ハリウッド」の異名をもつ大スターとなる一方で、1931年にはジョセフィーンと離婚した。

ゲーブルは『或る夜の出来事』で1934年アカデミー主演男優賞を受賞し、アメリカのみならずヨーロッパ諸国や、日本でも高い人気を誇った。しかしながらゲーブルの最も有名な出演作は1939年の『風と共に去りぬ』である。同作のレット・バトラー役で彼はアカデミー主演男優賞のノミネートを受けた。

1935年の『戦艦バウンティ号の叛乱』でのフレッチャー・クリスチャン役でもアカデミー賞の指名を受けている。ゲーブルはアカデミー作品賞受賞作品に三度主演した数少ない俳優の一人である。

参戦

[編集]
夫人のキャロル・ロンバードとともに(1939年)
出撃後にクルーと記念写真に収まるゲーブル(右端、1943年)

ゲーブルは1939年女優キャロル・ロンバードと3度目の結婚をする。その生活はゲーブルの生涯で最も幸福なものであったという。しかしロンバードはアメリカが第二次世界大戦に参戦した後の1942年に航空機墜落事故で死亡し、幸せな結婚生活はわずか3年で幕を閉じた。

ゲーブルは深く悲しみ、その悲しみを紛らわせるかのように第二次世界大戦下で枢軸国と対峙していたアメリカ合衆国陸軍航空隊に入隊した。なお、アメリカ軍は当初ゲーブルに対し、軍役には着いても実際の戦闘には加わらず、慰問部隊の一員として活動することを望んだ。

しかしゲーブルはこれを拒否し、ヨーロッパ戦線でボーイングB-17爆撃機で数度の出撃を行った。なお軍と政府は参戦したゲーブルを戦意高揚のためのプロパガンダ映画やニュースに大いに利用した。

戦後

[編集]
来日時のゲーブル(1954年)

第二次世界大戦1945年8月に終結し、その後軍を退役したゲーブルの初の映画は、1945年に製作された『冒険』であった。同作は商業的に成功せず、MGMはゲーブルの高給を考慮し契約を更新しなかった。なおその後シルヴィア・アシュレーと4回目の結婚をした。

その後の10年間、ゲーブルはその経歴とは見合わないような小規模な作品や、駄作と評価されるような作品にも出演した。なお1954年(昭和29年)11月13日、映画『一攫千金を夢みる男』の、イギリス植民地香港にロケへ向かう途中に来日し大きな歓迎を受けた。

死去

[編集]

そのキャリアに見合うような作品にも恵まれるようになった矢先の1960年に、ゲーブルは59歳でロサンゼルスに於いて心臓発作で死去した。ゲーブルの最後の映画は『荒馬と女』であった。なお同作は共演者のマリリン・モンローの生前最後の出演作でもあった。

ゲーブルはカリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン記念公園墓地で、最愛の妻キャロル・ロンバードの横に埋葬された。なお最後の結婚相手のケイ・ウィリアムズは、ゲーブルの死後に、ゲーブルとの間の子ジョン・クラーク・ゲーブルを生んでいる。

プライベート

[編集]

ゲーブルは5回結婚している。1人目は上記のジョセフィーン・ディロン。2番目の妻はテキサス社交界の花形であったレアー・ラングハム・デイヴィスで、彼女は17歳年上であった。3人目はキャロル・ロンバードで、その生活は彼の生涯で最も幸福なものであったという。しかしロンバードは1942年の航空機墜落事故で死亡した。その後40年代を通してヴァージニア・グレイとつかず離れずの交際関係があった。

4人目の妻シルヴィア・アシュリー英語版も2人目同様に社交界の花形で、サイレント期に「キング・オブ・ハリウッド」と呼ばれた国民的俳優ダグラス・フェアバンクス未亡人でもあった。

5番目の妻ケイ・ウィリアムズとは13年間もくっついては別れるを繰り返した末に結婚、これが最後の婚姻となった。ケイはペンシルベニア州ノース・イーストの出身の元ファッションモデルおよび女優であった。ゲーブルはケイの連れ子バンカー・スプレッケルズ英語版を可愛がり、のちに彼は伝説的サーファーとなった。ゲーブルの死の4ヵ月後、1961年にケイはゲーブルとの息子ジョン・クラーク・ゲーブルを生んでいる。

また、「野性の叫び」で共演したロレッタ・ヤングとの間に娘ジュディ・ルイス英語版(1935-2011)がいる。ロレッタはジュディがゲーブルとの子である事を隠すため、ジュディは7歳で立ち耳を目立たなくする手術をさせられた。

歯を悪くしていたが、インプラントが無い時代であったため、比較的若い頃から総入れ歯を使用していた。『モガンボ』で共演したグレース・ケリーは、酔った彼に外した入れ歯を見せられたことがあるという。

また、フリーメイソンの会員でカリフォルニア州にあるビバリーヒルズ・ロッジNo.528に入会していた[2]

主な出演作

[編集]
映画紅塵(1932年)で共演女優のメアリー・アスター
映画風と共に去りぬ(1939年)で共演女優のヴィヴィアン・リー
映画モガンボ(1953年)で共演女優のグレース・ケリー
公開年 邦題
原題
役名 備考
1924 禁断の楽園
Forbidden Paradise
1925 メリー・ウィドウ
The Merry Widow
ダンサー クレジットなし
1931 惨劇の砂漠
The Painted Desert
ランス・ブレット
暗黒街に踊る
Dance, Fools, Dance
ジェイク
無冠の帝王
The Finger Points
ルイス・J・ブランコ
秘密の6
The Secret Six
カール
笑う罪人
Laughing Sinners
カール
自由の魂
A Free Soul
エース・ウィルフォング
夜の看護婦
Night Nurse
ニック
男性の血潮
Sporting Blood
ウォレン・リデル
スザン・レノックス
Susan Lenox (Her Fall and Rise)
ロドニー・スペンサー
蜃気楼の女
Possessed
マーク・ホイットニー
太平洋爆撃隊
Hell Divers
スティーヴ・ネルソン
1932 地獄のサーカス
Polly of the Circus
ジョン・ハートリー
紅塵
Red Dust
デニス・カーソン
心の青空
No Man of Her Own
ベイブ・スチュアート
1933 ホワイト・シスター
The White Sister
ジョヴァンニ
春の火遊び
Hold Your Man
エディ・ホール
夜間飛行
Night Flight
ジュールズ・ファビアン
ダンシング・レディ
Dancing Lady
パッチ・ギャラハー
1934 或る夜の出来事
It Happened One Night
ピーター
白衣の騎士
Men in White
ジョージ・ファーガソン
男の世界
Manhattan Melodrama
ブラッキー・ギャラハー
私のダイナ
Chained
マイケル・ブラッドレー
結婚十分前
Forsaking All Others
ジェフ
1935 或る夜の特ダネ
After Office Hours
ジム・ブランチ
支那海
China Seas
アラン・ギャスケル
野性の叫び
The Call of the Wild
ジャック・ソーントン
戦艦バウンティ号の叛乱
Mutiny on the Bounty
フレッチャー・クリスチャン
1936 妻と女秘書
Wife vs. Secretary
ヴァン
桑港
San Francisco
ブラッキー・ノートン
スタアと選手
Cain and Mabel
ラリー・ケイン
空駆ける恋
Love on the Run
マイク・アンソニー
1937 恋の挽歌
Parnell
チャールズ・スチュワート・パーネル
サラトガ
Saratoga
デューク・ブラッドレー
1938 テスト・パイロット
Test Pilot
ジム
地球を駆ける男
Too Hot to Handle
クリス・ハンター
1939 風と共に去りぬ
Gone with the Wind
レット・バトラー
1940 ブーム・タウン
Boom Town
ビッグ・ジョン・マクマスターズ
1941 無法街
Honky Tonk
キャンディ・ジョンソン
1945 冒険
Adventure
ハリー・パターソン
1947 自信売ります
The Hucksters
ヴィクター・アルビー・ノーマン
1948 帰郷
Homecoming
戦略爆撃指令
Command Decision
ケイシー・デニス
1950 スピード王
To Please a Lady
僕は御免だ
But Not for Me
ラス・ウォード
1951 ミズーリ横断
Across the Wide Missouri
フリント・ミッチェル
1952 栄光の星の下に
Lone Star
デヴ・バーク
1953 哀愁のロシア
Never Let Me Go
フィル・サザーランド
モガンボ
Mogambo
ヴィクター・マーズウェル
1954 叛逆者
Betrayed
ピーター・デヴェンダー
1955 一攫千金を夢見る男
Soldier of Fortune
ハンク・リー
たくましき男たち
The Tall Men
ベン・アリソン
1956 ながれ者
The King and Four Queens
ダン
1957 南部の反逆者
Band of Angels
ハミッシュ・ボンド
1958 深く静かに潜航せよ
Run Silent Run Deep
リチャードソン
先生のお気に入り
Teacher's Pet
ジェームズ
1959 僕は御免だ
But Not for Me
ラッセル・ワード
1960 ナポリ湾
It Started in Naples
マイケル・ハミルトン
1961 荒馬と女
The Misfits
ガイ・ラングランド

脚注

[編集]
  1. ^ Clark Gable- vintage articlesFaith Scott, Source: Times-News Meadville Bureau
  2. ^ Famous Freemasons A-L

外部リンク

[編集]