クララ・ダン・フォン・ノイマン
Klára Dán von Neumann クララ・ダン・フォン・ノイマン | |
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生誕 |
Dán Klára 1911年8月18日 オーストリア=ハンガリー帝国 ブダペスト |
死没 |
1963年11月10日 (52歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンディエゴ |
居住 | アメリカ合衆国 |
国籍 | ハンガリー・ アメリカ合衆国 |
研究分野 | 計算機科学 |
研究機関 |
プリンストン大学 ロスアラモス国立研究所 |
主な業績 | MANIAC I |
プロジェクト:人物伝 |
クララ・ダン・フォン・ノイマン(Klára Dán von Neumann、1911年8月18日 - 1963年11月10日)は、ハンガリー系アメリカ人の計算機科学者である。世界初のコンピュータプログラマーの1人として知られる[1]。
生涯
[編集]1911年8月18日にハンガリー(出生時はオーストリア・ハンガリー)のブダペストで、裕福なユダヤ人家庭の元に生まれた[2][3][4]。父のKárolyは第一次世界大戦中にオーストリア・ハンガリー陸軍の将校だったが、クン・ベーラがハンガリー・ソビエト共和国の成立を宣言すると、その弾圧を逃れて一家はウイーンに移った。政権が転覆すると、一家はブダペストに戻った。14歳のとき、フィギュアスケートの国内チャンピオンになった[3]。彼女はブダペストでヴェレス・パルネが開設した女子中等学校に入学し、1929年に卒業した[5]。
1931年にFerenc Engelと結婚し、1936年にAndor Rapochと結婚した[6]。ジョン・フォン・ノイマンが第二次世界大戦勃発前にブダペストに一旦戻った際、クララと出会った[7]。1938年にジョン・フォン・ノイマンが離婚をすると、クララも離婚し、2人は結婚してアメリカ合衆国へ移った。
彼女は1943年にプリンストン大学の統計計算グループの責任者となった。1946年にロスアラモス国立研究所に移り、ジョン・フォン・ノイマン、ジュリアン・ビゲローが設計したMANIAC Iのプログラミングを行った[5][8]。彼女は、ENIACの新しい制御の設計にも関与し、その主要なプログラマの1人だった[9][10]。
1957年のジョン・フォン・ノイマンの死後、1956年のシリマン記念講演[11]の内容が出版されることになったとき、クララはその序文を書いた。これは後に、The Computer and the Brain(計算機と脳)としてイェール大学出版局から出版された[12]。
彼女は1958年にカール・エッカートと結婚し、カリフォルニア州ラホヤに移った。1963年、ラホヤの自宅から浜辺まで車で行き、波に飲まれて溺死した。サンディエゴ検死官事務所は彼女の死を自殺と記載した[3][13]。
脚注
[編集]- ^ “John von Neumann: The Father of the Modern Computer”. Mathematical Association of America. 2016年10月27日閲覧。
- ^ Chen, J with Su-I Lu, and Dan Vekhter. “Von Neumann and the Development of Game Theory”. 31 March 2012閲覧。
- ^ a b c Dyson, George (2012). Turing's Cathedral: The Origins of the Digital Universe. Vintage Books. ISBN 978-1-4000-7599-7
- ^ Withman, Sarah. “Meet the Computer Scientist You Should Thank For Your Smartphone’s Weather App”. 19 June 2017閲覧。
- ^ a b “Finding Aid to the Collection in the Library of Congress”. John Von Neumann and Klara Dan Von Neumann Papers. Library of Congress (2014年). 22 July 2017閲覧。
- ^ “Klára Dán”. Geni Family Tree. 22 July 2017閲覧。
- ^ Macrae, Norman (1992). John von Neumann: The Scientific Genius Who Pioneered the Modern Computer, Game Theory, Nuclear Deterrence, and Much More (1. ed.). New York: Pantheon Books. pp. 170–174. ISBN 0679413081
- ^ “Q&A: Hacker Historian George Dyson Sits Down With Wired’s Kevin Kelly”. Wired. Wired. 2016年10月27日閲覧。
- ^ Coyle, Karen. “Turing's Cathedral, or Women Disappear”. Coyle's InFormation. Karen Coyle. 8 December 2013閲覧。
- ^ Andrieu, Christophe; de Freitas, Nando; Doucet, Arnaud; Jordan, Michael I. (2003). “An Introduction to MCMC for Machine Learning”. Machine Learning 50 (1/2): 5–43. doi:10.1023/A:1020281327116 .
- ^ von Neumann, Klara. “Preface, Von Neumann Silliman lectures”. The MacTutor History of Mathematics archive. School of Mathematics and Statistics, University of St Andrews Scotland. 31 March 2012閲覧。
- ^ von Neumann, John (2000). The Computer and the Brain. With a foreword by Paul M. & Patricia S. Churchland (2nd ed.). New Haven, Conn. [u.a.]: Yale Nota Bene. ISBN 9780300084733
- ^ “Former Wife of Late Atomic Energy Commission Official Drowns” (英語). Albuquerque Journal. (11 November 1963) 22 July 2017閲覧。
参考文献
[編集]- Dyson, George (2012). Turing's Cathedral: The Origins of the Digital Universe. Vintage Books. ISBN 978-1-4000-7599-7