クラウンガスライター
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株式会社クラウンガスライター(Crown Gas Lighter)は、かつて日本に存在したライターの製造会社である。法人としては、後の廣済堂の前身にあたる。
歴史・概要
[編集]戦後初期の頃、市川要吉により市川産業株式会社(いちかわさんぎょう)として東京都で発足し、後に社名を株式会社クラウンガスライターに変更。電子ライターや100円ライターで大きなシェアを誇った。クラウンガスライター会長には平和相互銀行と太平洋クラブ創業者の小宮山英蔵が就いていた。
1976年10月、太平洋クラブに代わって福岡野球が運営するプロ野球チームの命名権を買収。冠スポンサーとなり、クラウンライター・ライオンズ(略称:クラウン・現在の埼玉西武ライオンズ)を名乗っていた。 契約期間は1978年10月までの2年間であり、契約満了をもって球団は国土計画に売却された[1]。
1978年6月に同社を存続会社とする形で関連会社の関東クラウン工業株式会社と廣済堂印刷株式会社を合併し、廣済堂クラウン株式会社へ社名変更[2]。1981年4月に株式会社廣済堂へ社名変更[2]、「クラウン」の名は消滅した。
備考
[編集]スポンサーを務めた福岡野球株式会社は、廣済堂クラウンとなって約4ヶ月後の1978年10月に上述の通り国土計画に買収され、福岡県から埼玉県に移転。株式会社西武ライオンズと改称した。
脚注
[編集]- ^ 西武「クラウン」を買収 所沢新球場に本拠地『朝日新聞』1978年(昭和53年)10月13日朝刊、13版、23面
- ^ a b 株式会社廣済堂の有価証券報告書[リンク切れ] ※有報リーダーより(2009年4月1日 - 2010年3月31日期)。