クインシー・ポーター
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クインシー・ポーター | |
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生誕 | 1897年11月7日 |
出身地 | アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイヴン |
死没 | 1966年11月12日(69歳没) |
学歴 | イェール大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家・ヴィオラ奏者 |
担当楽器 | ヴィオラ |
クインシー・ポーター(Quincy Porter、1897年11月7日 - 1966年11月12日) はアメリカ合衆国の作曲家・ヴィオラ奏者・大学教授。
経歴
[編集]コネチカット州ニューヘイヴン生まれ。早熟な楽才が認められ、イェール大学でホレイショ・パーカーに作曲を学ぶ。パリ留学でダンディに師事した後、帰国してからエルネスト・ブロッホの薫陶を受け、その最も熱心な信奉者となる。1930年代から教育活動に携わり、1940年代前半にはニューイングランド音楽院院長に就任した後、1946年から1965年まで母校イェール大学教授に就任した。
いわゆる「絶対音楽」の作曲家であり、9つの弦楽四重奏曲(1923年 - 1953年)、チェンバロ協奏曲やヴィオラ協奏曲をはじめとする複数の協奏曲、2つの交響曲、弦楽オーケストラのための「ウクライナ組曲」がある。「無伴奏ヴィオラのための組曲」は、今井信子などのヴィオラ奏者に重視されている。ブロッホに師事するまでは、ニューイングランドの作曲家に影響力のあったブラームスの影響を受けていたが、それ以降はとげとげしいリズムと不協和音程の多用、対位法の活用がめだつ作風に転じ、典型的な新古典主義様式で作曲を続けた。
主要作品
[編集]- 交響曲 第1番(1934年)
- 交響曲 第2番(1962年)
- ウクライナ組曲(1925年)
- ニューイングランドのエピソード(1958年)
- 2台のピアノのための小協奏曲(1953年着手?) ([1])
- チェンバロ協奏曲 (1959年? 1960年?)
- ヴィオラ協奏曲 (1948年)
- オーボエ五重奏曲「悲歌調」
- クラリネット五重奏曲
- ヴァイオリン・ソナタ第1番 (1926年)
- ヴァイオリン・ソナタ第2番 (1929年)
- 無伴奏ヴィオラのための組曲
著書
[編集]- Study of sixteenth century counterpoint, based on the works of Orlando di Lasso. Boston: Loomis. 3rd ed. pub. around 1948.
文献
[編集]- Tawa, Nicholas E. (2001) From psalm to symphony: a history of music in New England - Google ブックス. UPNE. ISBN 1-55553-491-0. pp. 318-22.
外部リンク
[編集]- Biography There has been a recording released of the 7th quartet since this was written in 1999.
- Biography at Music on the Web