ギョーム・ボディニエ
表示
ギョーム・ボディニエ Guillaume Bodinier | |
---|---|
自画像 | |
生誕 |
1795年2月9日 フランス,アンジェ |
死没 |
1872年8月25日 フランス,アンジェ |
ギョーム・ボディニエ(Guillaume Bodinier、1795年2月9日 - 1872年8月25日)はフランスの画家である。
略歴
[編集]メーヌ=エ=ロワール県のアンジェに生まれた[1]。アンジェの帝国高校(lycée impérial)で学んだ後、1814年にパリに出て法律を学び、ジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子であったジャン・ブロックの絵画教室で学んだ。1817年にパリのエコール・デ・ボザールに入学し、ピエール=ナルシス・ゲランの教室で学んだ。一緒に学んだ画家にはウジェーヌ・ドラクロワやテオドール・ジェリコーらがいた。
1821年と1822年にローマ賞に応募したが、受賞することはできなかった。
1822年に師のゲランが在ローマ・フランス・アカデミーの校長に任じられたので、ゲランに従って、ローマに移った[2]。ローマを訪れたジャン=バティスト・カミーユ・コローと友人になり、共に旅をし、風景画などを描いた。ローマに5年間、滞在してパリに戻り、1827年にサロン・ド・パリに出展し一等を受賞した。1829年から再びローマに移り1841年までローマで活動した。
1841年にアンジェに戻り、いとこと結婚した。アンジェ美術館の名誉館長に任じられ、1849年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。
作品
[編集]-
Portrait of Madame Marguerite-Julie More
-
ナポリの少女 (1835)
-
告解するフラスカーティの農婦 (1826)
-
Nicolas-Didier Boguet-画家
-
結婚の申し込み (1825)
-
イタリアの結婚契約 (1831)
脚注
[編集]- ^ "Notice de personne - Bodinier Guillaume". catalogue de la BnF (フランス語). 2008年8月7日. 2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月25日閲覧。
- ^ Partick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, Paysages d'Italie 1823-1826, Musée des beaux-arts d'Angers, 70 p.
参考文献
[編集]- Dictionnaire Bénézit
- Partick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, Paysages d'Italie 1823-1826, Musée des beaux-arts d'Angers, 70.p.
- Patrizia Rosazza-Ferraris, Vincent Pomarède, Patrick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, un peintre angevin en Italie, catalogue de l’exposition du Musée des beaux-arts d’Angers du 27 mai au 18 septembre 2011, éditions Expressions contemporaines, 2011, 320.p, (ISBN 9782909166247)