ギャビー・カサドシュ
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ギャビー・カサドシュ | |
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ギャビーと夫のロベール・カサドシュ | |
基本情報 | |
生誕 | 1901年8月9日 |
出身地 | フランス、マルセイユ |
死没 | 1999年11月12日(98歳没) |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
ギャビー・カサドシュ(Gaby Casadesus, 1901年8月9日 – 1999年11月12日[1])は、フランスのピアニスト。マルセイユ出身で旧姓ロテ(l'Hôte)。有名なピアニストのロベール・カサドシュと結婚し、息子ジャンを儲ける。ジャンもまた両親を継いで著名なピアニストになった。
経歴
[編集]パリ音楽院でルイ・ディエメとマルグリット・ロンに師事し、16歳のときピアノで首席となる。この頃にドビュッシーに出会い、自分の作品を講評してもらった。ドビュッシーの愛娘シューシューとも親しくなったが、間もなく彼女はジフテリアに斃れてしまう。その後、当時のフランスでは最も名誉のあった賞、パージュ賞(Prix Pagès)を授与された。
1921年にロベール・カサドシュと結婚し、2人でカサドシュ・デュオを結成し、4手ピアノ作品を数多く録音した。
その後はソリストとしても著名になり、モシュコフスキーやフォーレ、フローラン・シュミット、ラヴェルらと親交を結び、その指導のもとに作品の解釈を行なった。レパートリーには、バロック音楽の作曲家や、メンデルスゾーンの作品が含まれていた(ギャビー・カサドシュはメンデルスゾーンのピアノ曲の擁護者でもあった)。
教師としては、アメリカ合衆国やフォンテーヌブロー・アメリカ音楽院、サン=ジャン=ド=リュズのモーリス・ラヴェル・アカデミー、ザルツブルク・モーツァルテウムで教鞭を執った。グラント・ヨハネセンやオデット・ヴァラブレーグ=ヴュールビュルジェール(Odette Valabrègue Wurtzburger)とともにクリーヴランドに、ロベール・カサドシュ国際ピアノコンクールを創立した。