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キム・アンダーセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キム・アンダーセン
Kim Andersen
基本情報
本名 Kim Andersen
キム・アンダーセン
生年月日 (1958-02-10) 1958年2月10日(66歳)
国籍  デンマーク
選手情報
所属 チーム・レオパード
分野 ロードレース
役割 ゼネラル・マネジャー
プロ経歴
1980–1984
1985–1986
1987–1987
1988–1992
コープ
ラ・ヴィ・クレール
東芝
Z
監督経歴
1998–1999
2000–2003
2004–2010
2011
チーム・チッキー・ワールド
チーム・ファクタ
チームCSC
チーム・レオパード
主要レース勝利
フレッシュ・ワロンヌ 1984
ツール・ド・フランス 通算2勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算1勝
最終更新日
2011年1月7日

キム・アンダーセン(Kim Andersen, 1958年2月10日 - )は、デンマーク、マリング出身の元自転車競技ロードレース)選手、自転車競技指導者。

経歴

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1980年にプロロード選手となり、1981年ブエルタ・ア・エスパーニャで区間1勝、1983年ツール・ド・フランスでは第12ステージを制し、また6日間マイヨ・ジョーヌを堅持。さらにデンマーク一周の前身である、デンマーク・ルント・クリテリウム・ウィークの初代優勝者となった。1984年フレッシュ・ワロンヌを制覇。そして1985年ベルナール・イノーグレッグ・レモン擁するラ・ヴィ・クレールに移籍。同年のツール・ド・フランスでも4日間マイヨ・ジョーヌを堅持した。

しかしその後、度重なるドーピング陽性が発覚。1986年、フレッシュ・ワロンヌ終了後に発覚したことが原因となり、ラ・ヴィ・クレールを追われる羽目になった。翌1987年、ラ・ヴィ・クレールの後身チーム名である東芝に復帰し、ツール・ド・フランス出場を果たしたものの、同年のツール・デュ・リムザン終了後にまたしても陽性が発覚したため、翌1988年は、前半シーズンを棒に振った。同年6月より、後にグレッグ・レモンが加入することになるZに加入したが、ツール・ド・フランスへの出場機会は得られなかった。1992年アムステルゴールドレース終了後に、アミネプチンの陽性反応が発覚したことから、同年6月15日付でZから契約解除された影響を受け、同年限りで現役を引退した。

1998年よりレースディレクターを歴任。2004年から2010年まで、ビャルヌ・リースがゼネラル・マネジャー(GM)を務めるチームCSC(現 サクソバンク - サンガード)で同職を務めた。

2010年アルベルト・コンタドールのサクソバンク - サンガードへの移籍決定を受け、フランクアンディのシュレク兄弟を中心とする新チームを立ち上げるべく、自らがGMに就任して、ルクセンブルク・チーム・プロジェクト(後のチーム・レオパード)を結成。そして、シュレク兄弟以外にも多くの著名選手が同チームへの移籍を果たし、2011年シーズンにおける手腕が期待される。

主な戦績

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1981年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1990年

出典

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外部リンク

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