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キク・ヤマタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

キク・ヤマタ: Kikou Yamata1897年 - 1975年)は、20世紀に活動した日系フランス人女性作家[1]日本名山田 菊(やまた きく)[2]小説の「マサコ」や随筆障子」などで知られる[1][2]

生涯

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フランスリヨン1897年在リヨン日本帝国領事であった父・山田忠澄とフランス人の母・マグリットの間に[2]三人兄弟の長女として生まれる[1]1908年には家族と共に日本東京へ移り住んだ。しかし忠澄は兄弟へ日本語を頑なに教えず、東京での生活は困窮した。ただし、のちに日常会話ができる程度には日本語を習得している。

そののちに聖心女子学院へ入学し、在学中は日本文化を紹介するフランス語雑誌の執筆を行い、それとともに生け花書道への造詣も深めた[1]。卒業後はAP通信へ入社し秘書として勤務していたが、妹のハナが結婚すると1923年はじめには母親とともにパリへ帰国し、いくつかの文学サロンに出入りする生活を送った[1]

パリで活動を行う際、名前の綴りをこれまでの「Kiku Yamata」から「Kikou Yamata」と改名した。パリでも生活は変わらず、日本文化を紹介する小説やエッセイを執筆していた。

1932年スイス人画家コンラッド・メイリフランス語版と結婚した。1939年、日本の風物を油絵に描いてヨーロッパに紹介するために3カ月の滞在予定で日本に出航したコンラッドに同行し、鎌倉に住んだ[3]1943年、コンラッドはスパイ嫌疑で拘束され、キクもこの時に3カ月拘束されて特別高等警察から尋問を受けたとされる[3]。終戦後の1949年にはヨーロッパに戻り、スイスを拠点として活動を行った。

1957年レジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章し[2][4]1975年3月12日にスイスのジュネーブで死去した[2]

作品

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訳書・評伝

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脚注

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  1. ^ a b c d e キク 山田 キク(ヤマタ キク)とは?意味や使い方 - コトバンク”. コトバンク (2004年). 2024年4月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「今世紀初めにパリで日本描いた作家、キク・ヤマタと家族の写真を発見」『朝日新聞』1995年7月27日、朝刊、33面。
  3. ^ a b 「弟子ら集まり、追憶の絵画展 日本を愛したスイス人画家慕い 鎌倉 /神奈川県」『朝日新聞』2006年2月15日、朝刊 神奈川全県・2地方、32面。
  4. ^ Kikou YAMATA、2025年1月8日閲覧。

参考文献

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  • 常田槙子(著)、人間文化研究機構国文学研究資料館(編)「研究発表 ヤマタ・キクと能 ――フランスでの能の紹介と翻訳――」『国際日本文学研究集会会議録』第37巻、人間文化研究機構国文学研究資料館、2014年3月31日、107-133頁、doi:10.24619/00001901 
  • 小山ブリジット「キク・ヤマタ 山田 菊―日本とフランスの女流文人―」『武蔵大学総合研究所紀要』別冊 特集号 2020年度総研プロジェクト統一テーマ等研究成果公開企画 移民と離散の諸相―歴史と現代―、武蔵大学総合研究所、2021年4月1日、1-22頁、hdl:11149/2237