ガルニャーノ
ガルニャーノ Gargnano | |
---|---|
行政 | |
国 | イタリア |
州 | ロンバルディア |
県/大都市 | ブレシア |
CAP(郵便番号) | 25084 |
市外局番 | 0365 |
ISTATコード | 017076 |
識別コード | D924 |
分離集落 | #行政区画参照 |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
気候分類 | zona E, 2120 GG |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 2,766 [1] 人 (2021-01-01) |
人口密度 | 35.3 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | Gargnanesi |
守護聖人 |
聖マルティーノ (San Martino) |
祝祭日 | 11月11日 |
地理 | |
座標 | 北緯45度41分15秒 東経10度39分41秒 / 北緯45.68750度 東経10.66139度座標: 北緯45度41分15秒 東経10度39分41秒 / 北緯45.68750度 東経10.66139度 |
標高 | 66 (65 - 1497) [2] m |
面積 | 78.28 [3] km2 |
| |
ポータル イタリア |
ガルニャーノ(伊: Gargnano)は、イタリア共和国ロンバルディア州ブレシア県にある、人口約2,800人の基礎自治体(コムーネ)。ガルダ湖畔に位置する。
名称
[編集]標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。
地理
[編集]位置・広がり
[編集]ブレシア県北東部、ガルダ湖畔のコムーネ。サロから北東へ15km、ガルダ湖南西端のデゼンツァーノ・デル・ガルダから北北東へ26km、ガルダ湖北端のリーヴァ・デル・ガルダから南南西へ26km、県都ブレシアから東北東へ39km、ヴェローナから北西へ38km、州都ミラノの東北東118kmに位置する[5]。
コムーネはアルト・ガルダ・ブレシアーノ州立公園 (it:Parco regionale dell'Alto Garda Bresciano) に含まれる。1962年にトスコラーノ川 (it:Toscolano (torrente)) を堰き止めて作られたヴァルヴェスティーノ湖 (it:Lago di Valvestino) を含む。
隣接コムーネ[編集]隣接するコムーネは以下の通り。VRはヴェローナ県所属。
|
ヴェローナ県のコムーネはガルダ湖対岸にあたる。
地震分類
[編集]イタリアの地震リスク階級 (it) では、2 に分類される [6]。
歴史
[編集]中世
[編集]この町は、937年の文献に Garniano として現れる。この地名はおそらくラテン語の人名 Garenius から派生したものである。ティトゥス・リウィウスの記録や墓碑銘から、この地にはエトルリア人、ケルト人、ケノマニ人 (Cenomani) 、ローマ人が暮らしていたことがわかる[7]。
ガルニャーノを含む、サロを中心とするマグニフィカ・パトリア(Magnifica Patria)の一帯は、1350年から1426年にかけてヴィスコンティ家の所領となり、その後ヴェネツィア共和国の支配下に置かれている。
近代
[編集]フランス革命戦争からイタリア統一まで
[編集]1797年にヴェネツィア共和国が消滅すると、ナポレオンの作った姉妹共和国の一つ・ブレシア共和国 (it:Repubblica bresciana) の領土となった。ブレシア共和国は、その後チザルピーナ共和国、イタリア共和国、イタリア王国と変遷する。
ナポレオン没落後は、ロンバルド=ヴェネト王国(オーストリア帝国の一部)の領土となり、ハプスブルク家による支配を受けた。
1859年に第二次イタリア独立戦争によってサルデーニャ王国(1861年にイタリア王国となる)に編入された[8]。
イタリア統一以後
[編集]近代、ミラノを拠点に財閥を形成したフェルトリネッリ家はガルニャーノにルーツを持つ。19世紀末、フェルトリネッリ家の別荘としてガルダ湖畔にヴィッラ・フェルトリネッリが建設された。第二次世界大戦後期のイタリア社会共和国(いわゆるサロ共和国)の時期、ヴィッラ・フェルトリネッリにはベニート・ムッソリーニが滞在した。
行政
[編集]行政区画
[編集]ガルニャーノには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
そのほか、以下の集落(Località)がある。
- Cristol, San Giacomo, Mignone, Sostaga, Briano
社会
[編集]人口
[編集]人口推移
[編集]文化・観光
[編集]ヴィッラ・フェルトリネッリ
[編集]パラッツォ・フェルトリネッリ(Palazzo Feltrinelli)、あるいはヴィッラ・フェルトリネッリ(Villa Feltrinelli)は、ガルニャーノにルーツを持つ富豪フェルトリネッリ家によって1898年から1899年にかけて建設された邸宅である。第二次世界大戦後期(イタリア社会共和国期)にはベニート・ムッソリーニが滞在した。
この建物はミラノ大学に寄贈されており、夏季(7月から8月第一週まで)はミラノ大学のイタリア語学・文化研究センター(Centro d'Ateneo per la promozione della lingua e cultura italiana, 略称: CALCIF)として、3月から10月には大学の会議施設として利用されている。大学で利用しない時期にはホテルとして営業している。
人物
[編集]著名な出身者
[編集]- エリカ・ブラン - 女優
ミラノの富豪フェルトリネッリ家 (it:Feltrinelli (famiglia)) は、ガルニャーノをルーツに持つ。フェルトネッリ家は材木交易から出発し、イタリアの統一および資本主義の成長とともに財閥を形成した。第二次世界大戦後の1952年、当主ジャンジャコモ・フェルトリネッリ (it:Giangiacomo Feltrinelli) はフェルトリネッリ出版 (it:Giangiacomo Feltrinelli Editore) を創業している。
脚注
[編集]「※」印を付したものは翻訳元に挙げられていた出典であり、訳出に際し直接参照してはおりません。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Resident population on 1st January : Lombardia” (英語). 2021年5月10日閲覧。左側メニューのPopulation and Households > Population > Resident population on 1st January > Regions and municipalities より州を選択
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Brescia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Brescia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月26日閲覧。
- ^ Toponimi in dialetto bresciano ※
- ^ “地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年2月19日閲覧。
- ^ “classificazione sismica 1 dicembre 2020” (xls). イタリア市民保護局. 2021年2月7日閲覧。
- ^ Gargnano, a cura della Provincia di Brescia, DeAgostini, Novara, 2008. ※
- ^ Istituzioni storiche - Lombardia beni culturali - Gargnano
外部リンク
[編集]カポヴァッレ | ヴァルヴェスティーノ | ティニャーレ | ||
ヴォバルノ | ブレンゾーネ・スル・ガルダ (VR) | |||
ガルニャーノ | ||||
トスコラーノ=マデルノ | トッリ・デル・ベーナコ (VR) |