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カーウソン・グレイシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーウソン・グレイシー
基本情報
本名 カーウソン・グレイシー
(Carlson Gracie)
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1932-08-13) 1932年8月13日
出身地 リオデジャネイロ州リオデジャネイロ
没年月日 (2006-02-01) 2006年2月1日(73歳没)
所属 カーウソン・グレイシー・チーム
バックボーン ブラジリアン柔術
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カーウソン・グレイシーCarlson Gracie Sr1932年8月13日 - 2006年2月1日)は、ブラジルブラジリアン柔術家(グレイシー柔術)。リオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身。ブラジリアン柔術赤帯九段。

ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーの長男。

ヒカルド・デラヒーバの師であり、マリオ・スペーヒームリーロ・ブスタマンチヒカルド・リボーリオブラジリアン・トップチームの主力選手達をはじめ、ノヴァウニオンアンドレ・ペデネイラスや、ビクトー・ベウフォートなど数多くの強豪柔術家を育てた。また黎明期の総合格闘技界において最も成功したチームの一つである『カーウソン・グレイシー・チーム』を設立し、数多くのチャンピオンを育てた。

来歴

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1950年代にブラジルでバーリトゥードを行い、23歳の時に叔父のエリオ・グレイシーを破ったヴァウデマー・サンターナと対戦し勝利すると名声を獲得した。

2006年2月1日、イリノイ州シカゴで腎結石の合併症による心不全で死去。73歳没。

2019年8月12日、リオデジャネイロに銅像が建てられた。

関連項目

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