カロリーネ・フォン・オラニエン=ナッサウ=ディーツ
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カロリーネ・フォン・オラニエン=ナッサウ=ディーツ Karoline von Oranien-Nassau-Diez | |
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出生 |
1743年2月28日 ネーデルラント連邦共和国、レーワルデン |
死去 |
1787年5月6日(44歳没) キルヒハイムボーランデン |
配偶者 | ナッサウ=ヴァイルブルク侯カール・クリスティアン |
子女 | 一覧参照 |
家名 | オラニエ=ナッサウ家 |
父親 | オラニエ公ウィレム4世 |
母親 | アン・オブ・グレートブリテン |
カロリーネ・フォン・オラニエン=ナッサウ=ディーツ(ドイツ語:Karoline von Oranien-Nassau-Diez, 1743年2月28日 - 1787年5月6日)は、ナッサウ=ヴァイルブルク侯カール・クリスティアンの妃。ルクセンブルク大公アドルフ(元はナッサウ公)の曾祖母に当たる。オランダ語名はカロリーナ・ファン・オラニエ=ナッサウ(Carolina van Oranje-Nassau)。
生涯
[編集]オラニエ公ウィレム4世と妃アンナの娘として、レーワルデンで誕生した。ウィレム5世は同母弟である。父ウィレム4世が1751年に急死した際、ウィレム5世はわずか3歳であったため、母アンナが摂政を務めた。しかしアンナも1759年に死去したため、父ウィレム4世の生母でカロリーネの祖母であるマリア・ルイーゼが摂政となった。マリア・ルイーゼが1765年に死去したとき、22歳になろうとしていたカロリーネが代わって弟の摂政を務め、ウィレム5世が18歳の成年に達した1766年に摂政の座を降りた。
カロリーネは教養ある女性で、特に音楽に秀でており、ピアノを演奏し歌ったという。幼いモーツァルトをハーグへ招き、モーツァルトはカロリーネのために6つのピアノソナタを作曲した。モーツァルトは20歳になった1777年に再びカロリーネの元を訪問し、ナッサウ=ヴァイルブルク侯の居城があるキルヒハイムボーランデンで演奏会を開いた。
子女
[編集]1760年3月、祖母マリア・ルイーゼが摂政を務めていた時期に、ナッサウ家別系統のナッサウ=ヴァイルブルク侯カール・クリスティアンと結婚し、16子をもうけた。成人したのは7人であった。
- アウグスタ(1764年 - 1802年)
- ルイーゼ(1765年 - 1837年) - 1783年、ロイス=グライツ侯ハインリヒ13世と結婚
- フリードリヒ・ヴィルヘルム(1768年 -1816年) - ナッサウ=ヴァイルブルク侯
- カロリーネ(1770年 - 1828年) - ヴィート=ルンケル侯カール・ルートヴィヒと結婚
- カール・フリードリヒ(1775年 - 1807年)
- アマーリエ(1776年 - 1841年) - 1793年、アンハルト=ベルンブルク=シャウムブルク=ホイム侯ヴィクトル2世と結婚
- ヘンリエッテ(1780年 - 1857年) - 1797年、ヴュルテンベルク公ルートヴィヒ(ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の弟)と結婚