カルロス・デルガード・チャルバウド
表示
カルロス・デルガード・チャルバウド Carlos Delgado Chalbaud | |
カルロス・デルガード・チャルバウド
| |
任期 | 1948年11月24日 – 1950年11月13日 |
---|---|
任期 | 1945年10月21日 – 1948年11月24日 |
大統領 | ロムロ・ベタンクール ロムロ・ガジェゴス |
出生 | 1909年1月20日 ベネズエラ カラカス |
死去 | 1950年11月13日(41歳没) ベネズエラ カラカス |
出身校 | サン・シール陸軍士官学校 |
配偶者 | ルシア・デビーネ |
署名 |
カルロス・デルガード・チャルバウド(スペイン語: Carlos Delgado Chalbaud、1909年1月20日 – 1950年11月13日) は、ベネズエラの軍人。1948年から1950年まで、軍事政権のトップとして大統領を務めた。
経歴
[編集]首都カラカスに、海軍士官のロマン・デルガード・チャルバウドと母ルイーザ・エレーナ・ゴメス・ベルティーニの子として生まれる。父はフランス系とスペインのアンダルシア系、母はコルシカ系移民の子孫であった。
フランスのサン・シール陸軍士官学校で学び、1939年にベネズエラに帰国。ほどなくエレアサル・ロペス・コントレーラス大統領の軍事政権下で、陸軍大尉に任官した。
1945年、将校団の一員として当時のイサイアス・メディーナ・アンガリータ政権を転覆させ、新たな軍事政権に参画した。その後のロムロ・ベタンクールとロムロ・ガジェゴスの両政権で国防相を務めたが、1948年にはそのガジェゴス政権も転覆させ、マルコス・ペレス・ヒメネスおよびルイス・リョベラ・パエスの3名からなる軍事政権の名目上のトップとなった。
1950年11月13日、ラファエル・シモン・ウルビーナとその甥のドミンゴ・ウルビーナ率いる一団によって拉致・殺害された[1]。ウルビーナは逮捕・拘禁されたのち、国家安全保障命令により殺害され、ペレス・ヒメネスがその後の数年間、ベネズエラの政治指導者となった。
脚注
[編集]- ^ “State Funeral for Venezuelan Chief Delgado”. Lewiston Evening Journal: p. 10. (15 November 1950)
外部リンク
[編集]- “Carlos Delgado Chalbaud” (Spanish). Government of Venezuela. 7 June 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月5日閲覧。
- “Carlos Delgado Chalbaud” (Spanish). Mipunto.com. 6 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月5日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 ロムロ・ガジェゴス |
ベネズエラ合衆国大統領 1948年11月24日 - 1950年11月13日 |
次代 ヘルマン・スアレス |