コンテンツにスキップ

歴代カリフ一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カリフの一覧から転送)

カリフの一覧(カリフのいちらん)では、歴代のイスラム教カリフを挙げる。

正統カリフ

[編集]

正統カリフは、次の4代を数える。

  1. アブー・バクル632年-634年
  2. ウマル1世(634年-644年
  3. ウスマーン(644年-656年
  4. アリー(656年-661年

シーア派政権

[編集]
  1. ハサン・イブン・アリー661年

ウマイヤ朝

[編集]

661年から750年まで14代

  1. ムアーウィヤ1世661年-680年
  2. ヤズィード1世680年-683年
  3. ムアーウィヤ2世683年
  4. マルワーン1世683年-685年
  5. アブド・アルマリク685年-705年
  6. ワリード1世(705年-715年
  7. スライマーン(715年-717年
  8. ウマル2世(717年-720年
  9. ヤズィード2世(720年-724年
  10. ヒシャーム(724年-743年
  11. ワリード2世(743年-744年
  12. ヤズィード3世(744年)
  13. イブラーヒーム(744年)
  14. マルワーン2世(744年-750年

イブン・アッズバイル政権

[編集]
  1. アブドゥッラー・イブン・アッズバイル683年-692年

後ウマイヤ朝

[編集]

756年から1031年まで24代、アミールたちもカリフに準ずるものとして扱う。

アミール

[編集]
  1. アブド・アッラフマーン1世(756年 - 788年)
  2. ヒシャーム1世(788年 - 796年)
  3. ハカム1世(796年 - 822年)
  4. アブド・アッラフマーン2世(822年 - 852年)
  5. ムハンマド1世(852年 - 886年)
  6. ムンジル(886年 - 888年)
  7. アブド・アッラーフ(888年 - 912年)
  8. アブド・アッラフマーン3世(912年 - 929年)

カリフ

[編集]
  1. アブド・アッラフマーン3世(929年 - 961年)
  2. ハカム2世(961年 - 976年)
  3. ヒシャーム2世(976年 - 1009年、1010年 - 1013年)
  4. ムハンマド2世(1009年、1010年)
  5. スライマーン(1009年 - 1010年、1013年 - 1016年)
  6. アブド・アッラフマーン4世(1018年)
  7. アブド・アッラフマーン5世(1023年 - 1024年)
  8. ムハンマド3世(1024年 - 1025年)
  9. ヒシャーム3世(1027年 - 1031年)

アッバース朝

[編集]

750年から1258年まで37代37人、1261年から1543年まで18代17人。

バグダード・アッバース朝

[編集]
  1. サッファーフ(750年 - 754年)
  2. マンスール(754年 - 775年)- 首都バグダードを造営。
  3. マフディー(775年 - 785年)
  4. ハーディー(785年 - 786年)
  5. ハールーン・アッ=ラシード(786年 - 809年) - 最盛期を達成。
  6. アミーン(809年 - 813年)
  7. マアムーン(813年 - 833年) - バイト・アル=ヒクマ知恵の館)を設立。
  8. ムウタスィム(833年 - 842年)
  9. ワースィク(842年 - 847年)
  10. ムタワッキル(847年 - 861年)
  11. ムンタスィル(861年 - 862年)
  12. ムスタイーン(862年 - 866年)
  13. ムウタッズ(866年 - 869年)
  14. ムフタディー(869年 - 870年)
  15. ムウタミド(870年 - 892年)
  16. ムウタディド(892年 - 902年)
  17. ムクタフィー英語版(902年 - 908年)
  18. ムクタディル(908年 - 932年)
  19. カーヒル(932年 - 934年)
  20. ラーディー(934年 - 940年)
  21. ムッタキー(940年 - 944年)
  22. ムスタクフィー(944年 - 946年)
  23. ムティー(946年 - 974年)
  24. ターイー(974年 - 991年)
  25. カーディル(991年 - 1031年)
  26. カーイム(1031年 - 1075年)
  27. ムクタディー(1075年 - 1094年)
  28. ムスタズヒル(1094年 - 1118年)
  29. ムスタルシド(1118年 - 1135年)
  30. ラーシド(1135年 - 1136年)
  31. ムクタフィー(1136年 - 1160年)
  32. ムスタンジド(1160年 - 1170年)
  33. ムスタディー(1170年 - 1180年)
  34. ナースィル(1180年 - 1225年)
  35. ザーヒル(1225年 - 1226年)
  36. ムスタンスィル(1226年 - 1242年)
  37. ムスタアスィム(1242年 - 1258年)

カイロ・アッバース朝

[編集]
  1. ムスタンスィル1261年 - 1262年
  2. ハーキム1世1262年 - 1302年
  3. ムスタクフィー1世1303年 - 1340年
  4. ワースィク1世1340年 - 1341年
  5. ハーキム2世1341年 - 1352年
  6. ムゥタディド1世1352年 - 1362年
  7. ムタワッキル1世1362年 - 1383年
  8. ワースィク2世1383年 - 1386年
  9. ムウタスィム1386年 - 1389年
  10. ムタワッキル1世 (重祚・第2期治世、1389年 - 1406年
  11. ムスタイーン1406年 - 1414年
  12. ムウタディド2世1414年 - 1441年
  13. ムスタクフィー2世1441年 - 1451年
  14. カーイム1451年 - 1455年
  15. ムスタンジド1455年 - 1479年
  16. ムタワッキル2世1479年 - 1497年
  17. ムスタムスィク1497年 - 1508年
  18. ムタワッキル3世1508年 - 1543年

オスマン朝

[編集]

1517年にオスマン帝国のスルタンセリム1世は、オスマン帝国とマムルーク朝の戦争でカイロのマムルーク朝を破った。アッバース朝の最後のカリフであるムタワッキル3世は、囚人としてコンスタンティノープルに連行された。そこで、ムタワッキルはカリフの称号とその紋章(預言者ムハンマドの剣、マント、軍旗、印章)をセリムに正式に引き渡して、オスマン家のスルタンを新しいカリフとしたとの伝説(スルタン=カリフ制)が、19世紀になって創作される。1876年のオスマン帝国憲法でスルタンとカリフの兼任が明文化。トルコ革命で1922年にスルタン位が廃止。1924年にカリフ位も廃止。イスラム世界公認のカリフは消滅。

ファーティマ朝

[編集]
  1. ウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー、909年 - 934年
  2. カーイム934年 - 946年
  3. マンスール946年 - 952年
  4. ムイッズ952年 - 975年
  5. アズィーズ975年 - 996年
  6. ハーキム996年 - 1021年
  7. ザーヒル1021年 - 1036年
  8. ムスタンスィル1036年 - 1094年
  9. ムスタアリー1094年 - 1101年
  10. アーミル1101年 - 1130年
  11. ハーフィズ1132年 - 1149年
  12. ザーフィル1149年 - 1154年
  13. ファーイズ1154年 - 1160年
  14. アーディド1160年 - 1171年

モロッコのカリフ

[編集]

ハンムード家のカリフ

  • 16. アリー(1016年-1018年)
  • 18. 20. カーシム(1018年-1021年)(1022年-1023年)
  • 19. 23. ヤフヤー(1021年-1022年)(1023年-1027年)

自称のみのカリフ

[編集]

以下はカリフを自称したものの、イスラム諸国からの承認はなかった人物。

ヒジャーズ王国

[編集]
  1. フサイン・イブン・アリー(1924年)

カリフ国家

[編集]

9月12日クーデターでトルコからドイツに亡命したイスラム指導者が自派の組織「カリフ国家」でカリフ就任を宣言[1][2]

  1. ジェマレッティン・カプランドイツ語版(1994年 - 1995年)
  2. メティン・カプラン英語版(1995年 - 2001年)

ISIL

[編集]
  1. イブラーヒームISIL指導者アブー・バクル・アル=バグダディーとして知られる)(2014年-2019年)
  2. クラシ(2019年-2022年)
  3. アブハッサン・ハシミ(2022年)
  4. アブ・フセイン・フセイニ(2022年-2023年)
  5. アブ・ハフス・アル=ハシーミー・アル=クラーイシー(2023年-)

脚注

[編集]
  1. ^ 内藤正典 (2003年3月31日). “イスラーム・テロの構造的要因と抑止対策” (PDF). 平成14年度 外務省委託研究「9.11以降の欧米関係」. 日本国際問題研究所 (JIIA). 2014年12月11日閲覧。
  2. ^ 世界2014年12月号 内藤正典「「イスラーム問題」の縮図としてのトルコ」より「一九八〇年のトルコでクーデタが発生した後、ドイツに逃れたジェマレッティン・カプランというイスラーム指導者もケルンでカリフ位に就いたことを宣言した。」

関連項目

[編集]