オグデン・ミルズ・フィップス
オグデン・ミルズ・フィップス | |
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生誕 |
1940年9月18日 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 |
死没 |
2016年4月6日 (75歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 |
教育 | イェール大学 |
職業 | 投資家、競走馬オーナーブリーダー |
政党 | 共和党 |
取締役会 | ジョッキークラブ, NYRA, Breeders' Cup Limited, NTRA |
子供 | Ogden Phipps II, Daisy, Lilly, Samantha |
親 |
Ogden Phipps & Lillian Bostwick Phipps |
親戚 | 兄弟姉妹: Cynthia, Robert Lansing, Henry Ogden |
栄誉 |
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オグデン・ミルズ・"ディニー"・フィップス(Ogden Mills " Dinny " Phipps、1940年9月18日 - 2016年4月6日)は、アメリカ合衆国の投資家、サラブレッド競馬のオーナーブリーダー。「ディニー」というニックネームで広く知られている。ベッセマートラスト元会長[1]。
経歴
[編集]アメリカのサラブレッド競馬の大御所で、祖母グラディス・ミルズ・フィップスから名門ホイートリーステーブルを継承していたオグデン・フィップスの息子である。フィップス家は19世紀、曽祖父のオグデン・ミルズの頃からアメリカ競馬に関わり続け、特にケンタッキー州パリス近郊のクレイボーンファームとは、先祖の代からの長い間協力関係を続けてきた[2]。フィップス自身も競馬に興味を持ち、幼い頃から夏にはサラトガ競馬場に通っていたという[2]。
イェール大学の出身でスポーツマンでもあり、テニスやゴルフ、釣り、狩猟にも熱心であったという[2]。
本業は家業である投資会社ベッセマートラスト社の運営で、1994年までその会長職を務めていた[2]。
フィップスには6人の子供と24人の孫がおり、このうち1人は父と同じオグデン・フィップスという名前だった[3]。フィップスの妻アンドレアはそのうち4人の子供たちの母親である[4]。
2016年4月6日にニューヨークプレズビティアリアン病院で死亡、75歳であった[2]。
競馬
[編集]競馬産業の継承
[編集]フィップスやフィップスの兄弟らは父同様にアメリカの競馬産業に携わっていった。1995年、フィップスのインサイドインフォメーションがモリーピッチャーハンディキャップを勝利したが、これは妹のシンシアも1992年にヴェルサイユトリーティで勝利しており、さらには父オグデンも1988年にパーソナルエンスンで勝利しているという家族で3勝を挙げるという記録を作っている。以下はフィップスの主な所有馬。
- リズム Rhythm - 1987年生、牡馬。ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル。1989年最優秀2歳牡馬。
- ディスピュート Dispute -1990年生、牝馬。ケンタッキーオークスなど。
- インサイドインフォメーション Inside Information - 1991年生、牝馬。ブリーダーズカップ・ディスタフなど。アメリカ殿堂馬。
- ストームフラッグフライング Storm Flag Flying - 2000年生、牝馬。ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ。
- プレザントホーム Pleasant Home - 2001年生、牝馬。ブリーダーズカップ・ディスタフなど。
- スマッグラー Smuggler - 2002年生、牝馬。2005年最優秀3歳牝馬。
- オーブ Orb - 2010年生、牡馬。ケンタッキーダービー。
共同生産した馬も多く、フィップスのいとこであるスチュアート・S・ジャニー3世と共に生産したオーブはその代表格で、同馬はケンタッキーダービーに優勝している。また、ウィリアム・S・ファリシュ3世と共同名義で生産したストームソングは、1996年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズに優勝、全米最優秀2歳牝馬に選出された。
また国外イギリスでも所有馬を走らせており、そのうちの1頭ポッセは1980年のサセックスステークスとセントジェームズパレスステークスで優勝している。
競馬界の重鎮として
[編集]フィップスはアメリカジョッキークラブの取締役会の会員であり、このほかにもニューヨーク競馬協会会長、カナダジョッキークラブ会員、ブリーダーズカップ社役員、全米サラブレッド競馬協会役員などを兼任した[2][5]。
競馬に関する賞の受賞も多く、1978年にはフィップスはエクリプス賞功労賞を受賞している[6]。さらにニューヨーク・ターフライターズ賞において「競馬で最も活躍した男」として選ばれている。その後も2002年、フィップスはサラブレッド馬主生産者協会からインダストリーサービス賞を受賞した。
没後の2017年には「ピラー・オブ・ターフ」のカテゴリでアメリカ競馬殿堂入りを果たした[7]。
脚注
[編集]- ^ “Dinny Phipps, The Jockey Club: Profile and Biography” (英語). Bloomberg.com. 2022年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e f Lenny Shulman (2016年4月7日). “Leader Ogden Mills 'Dinny' Phipps Dies”. Blood-Horse. 2022年6月2日閲覧。
- ^ Drape, Joe (24 August 2013). “Postcard From Saratoga: For Generations, a Family Vacation, Horses and All”. The New York Times 25 August 2013閲覧。
- ^ “Phipps Stable-America's Best Racing. The Jockey Club”. TJCMedia Ventures. 25 August 2013閲覧。
- ^ “Jockey Club of Canada”. 2013年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月5日閲覧。
- ^ “Eclipse Award Voted for Phipps”. the New York Times (1979年1月10日). 2022年6月3日閲覧。
- ^ “Phipps, Gaines, Winn Named 2017 Pillars of the Turf” (英語). BloodHorse.com. 24 May 2017閲覧。
外部リンク
[編集]- Ogden Mills Phipps - NTRA
- the Phipps family in racing - Thoroughbred Times November 2, 2002
- Profile of Ogden Mills Phipps - Breeders' Cup Limited
- Ogden Mills "Dinny" Phipps - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館