エーベルスヴァルデ
この記事はドイツ語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年11月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
紋章 | 地図 |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | ブランデンブルク州 |
郡: | バルニム郡 |
標高: | 海抜 25 m |
面積: | 58.2 km² |
人口: |
41,103人(2021年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 706 人/km² |
郵便番号: | 16202–16230 |
市外局番: | 03334 |
ナンバープレート: | BAR (かつては EW) |
自治体コード: | 12 0 60 052 |
街区数: | 7 地区 |
ウェブサイト: | eberswalde.de |
行政 | |
市長: | フリートヘルム・ボギンスキ (Friedhelm Boginski) (FDP) |
多数派政党: | SPD |
エーベルスヴァルデ(Eberswalde)はドイツ連邦共和国ブランデンブルク州に属する都市。バルニム郡の郡庁所在地である。人口は約41,000人。
地勢・産業
[編集]しばしば、この街は広大な森を有していることから、ヴァルトシュタット(Waldstadt、「森の街」)とも称される。ただし、19世紀より工業都市として発展しており、自然と工業の調和が課題となっている。街をフィノー運河が走るが、現在その重要性は低下している。近隣の都市としては、約45キロ南西にベルリン、75キロ南東にフランクフルト (オーダー)が位置している。約20キロほど東にポーランド国境がある。
歴史
[編集]1254年に街が建てられ、14世紀初頭には都市特権を得て市壁が設けられた。エーベルスヴァルデが、シュテティーンとフランクフルト (オーダー)を結ぶ交易路の途中に位置していたことは、この街の発展に大きく貢献した。1499年に大火事によって街が焼失したが再建された。17世紀の三十年戦争では、カトリック側の傭兵隊長ヴァレンシュタインや、スウェーデンのグスタフ・アドルフがこの地に留まった。のちにリュッツェンの戦いで命を落としたグスタフ・アドルフは、この街のマリア・マクダレナ教会でその遺体を防腐加工された。街は三十年戦争を通じて多大な打撃を被ったが、それから徐々に人口を回復させた。18世紀半ば、テューリンゲンから鍛冶・冶金技術を有した人々がこの地に移住したため、これらの産業が発展した。19世紀半ばより工業化が進み、工場が設けられるとともに鉄道網の整備が進んだ。1842年にはベルリン、翌年にはシュテティーン(現ポーランド)との路線が開通した。第二次世界大戦後、ソ連による占領(ソ連占領地域)を経て東ドイツ領となった。1990年のドイツ統一は、エーベルスヴァルデに厳しい状況をもたらした。旧東ドイツの工業水準は西ドイツに届くものではなく、工業は停滞し失業者も急激に増加した。人口も、統一後まもなくは5万人以上いたが、現在の人口は4万人程度である。2004年、街の建設750年を祝う祭典が催された。
スポーツ
[編集]FV MOTOR Eberswaldeが、この街を本拠地とするサッカークラブである。現在、6部リーグに所属する。
姉妹都市
[編集]引用
[編集]- ^ Bevölkerungsentwicklung und Flächen der kreisfreien Städte, Landkreise und Gemeinden im Land Brandenburg 2021 (Fortgeschriebene amtliche Einwohnerzahlen, bezogen auf den aktuellen Gebietsstand)