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エレオノーレ・フォン・アンハルト=ツェルプスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エレオノーレ・フォン・アンハルト=ツェルプスト
Eleonore von Anhalt-Zerbst

出生 (1608-11-10) 1608年11月10日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンハルト=ツェルプスト侯領、ツェルプスト
死去 (1681-11-02) 1681年11月2日(72歳没)
 デンマークアルス島、ウスターホルム城
埋葬  デンマークアルス島、イーイン
配偶者 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公フリードリヒ
子女 本文参照
家名 アスカーニエン家
父親 アンハルト=ツェルプスト侯ルドルフ
母親 ドロテア・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
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エレオノーレ・フォン・アンハルト=ツェルプストドイツ語:Eleonore von Anhalt-Zerbst, 1608年11月10日 - 1681年11月2日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公フリードリヒの妃。

生涯

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エレオノーレはアンハルト=ツェルプスト侯ルドルフドロテア・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの娘である。

1632年2月15日にノルブルクにおいてシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公フリードリヒと結婚した。夫フリードリヒにとっては再婚であった。ノルブルク公領にはわずかな財源しかなく、エレオノーレの子供たちは公領の外で収入源を探さなければならなかった[1]。神学者のクリストフ・ヴィルヘルム・メガンダーは、1653年以降エレオノーレの聴罪司祭として仕えた。継息子ヨハン・ボギスラウの治世の間に、公国は破産し封土はデンマークに没収された。

エレオノーレは1681年に寡婦財産であったアルス島のウスターホルム城において死去し[2]、夫の隣に埋葬された[3]

子女

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  • 子(1633年)
  • エリーザベト・ユリアネ(1633年 - 1704年) - ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公アントン・ウルリヒと結婚
  • ドロテア・ヘートヴィヒ(1636年 - 1692年) - ガンデルスハイム修道院長(1665年 - 1678年)、のち、1678年にクリストフ・フォン・ランツァウ=ホーエンフェルトと結婚
  • クリスチャン・アウグスト(1639年 - 1687年) - イングランド提督
  • ルイーゼ・アメーネ(1642年 - 1685年) - ヨハン・フリードリヒ・フォン・ホーエンローエ=ノイエンシュタイン=エーリンゲンと結婚
  • ルドルフ・フリードリヒ(1645年 - 1688年) - シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公

脚注

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  1. ^ Friedrich Buelau: Geheime Geschichten und räthselhafte Menschen, Sammlung verborgener oder vergessener Merkwürdigkeiten, 1855, p. 454
  2. ^ Gesellschaft für Schleswig-Holsteinische Geschichte: Archiv für Staats- und Kirchengeschichte der Herzogthümer Schleswig, Holstein, Lauenburg und der angrenzenden Länder und Städte, vol. 4, Verlag D.C.C. Schwers Wittwe, 1840, p. 312
  3. ^ W. Lesser: Topographie des Herzogthums Schleswig, vol. 1-2, C. Schröder & Comp., 1853, p. 113

参考文献

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  • August B. Michaelis, Julius Wilhelm Hamberger: Einleitung zu einer volständigen Geschichte der Chur- und Fürstlichen Häuser in Teutschland, Meyer, 1760, p. 587
  • Hans Nicolai Andreas Jensen: Versuch einer kirchlichen Statistik des Herzogthums Schleswig, vol. 2, Kastrup, 1841, p. 1636