エル・ドリーム・チーム
エル・ドリーム・チーム(El 'Dream Team')は、1988年から1996年シーズン途中までのヨハン・クライフ監督が指揮したFCバルセロナの愛称。1992年のバルセロナオリンピックで、マイケル・ジョーダンやラリー・バードなどのNBAスタープレイヤーを擁し、金メダルを獲得したバスケットボール・アメリカ代表の通称「ドリームチーム」に由来する。通常、メディアなどでは、そのままドリームチームと呼ばれることが多い。
由来
[編集]1980年代末にアリーゴ・サッキによって率いられたACミランがプレッシング戦術を現代サッカーにもたらして以降、カテナチオ戦術に代表される守備的な戦術やチームスタイルが伝統的に好まれてきたイタリアのセリエAの国際的な人気の高まりとともに、1990年代初頭には守備的なサッカーが全盛期を迎えていた。そんな中、同時期にFCバルセロナを率いたヨハン・クライフは、それまでの概念を覆すような攻撃的なフットボールのスタイルを構築して国内外で成功をおさめ、当時のフットボールファンを驚かせた。エル・ドリーム・チームという呼称は、その時代ではほぼ廃れつつあったウイングを起用し、中盤には守備力よりもテクニックや展開力のある選手(ピボーテなど)を配置することで、ボールポゼッションを戦術の中核としながら「魅せること」と「勝つこと」を同時に実現したと評されたクライフのチームのプレーを、バスケットボールのアメリカ代表のプレーになぞらえたものである。
呼び名の始まりは、UEFAチャンピオンズカップ 1991-92の決勝の数日前に、ジョアン・ガスパール(8年後の2000年にFCバルセロナ会長となる人物)がラジオ局カデーナ・セールのマヌエル・オルベロスの取材を受けた際に使用した言葉だとされる[1]。
成績
[編集]リーガ・エスパニョーラ4連覇など合計10個のタイトルを獲得した。このクライフ監督の10個というタイトル獲得数は、エル・ドリーム・チームの中心選手の一人でもあったジョゼップ・グアルディオラ監督が2011年のスーペルコパ・デ・エスパーニャにおいて11個目のタイトルを獲得するまで、一人の監督によるタイトル獲得数としてはチーム史上最高記録であった。
- リーガ・エスパニョーラ:優勝4回
- 1990-91、1991-92、1992-93、1993-94
- コパ・デル・レイ:優勝1回
- 1989-90
- UEFAチャンピオンズカップ:優勝1回
- 1991-92
- UEFAカップウィナーズカップ:優勝1回
- 1988-89
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:優勝3回
- 1991、1992、1994
所属選手
[編集]GK
[編集]- アンドニ・スビサレッタ 1986-1994
DF
[編集]- ミゲリ 1973-1989
- ラモン・アレサンコ 1980-1993
- ロナルド・クーマン 1989-1995
- ナンド 1990-1992
- アルベルト・フェレール 1990-1998
- ミゲル・アンヘル・ナダル 1991-1999
- セルジ 1993-2002
- アベラルド 1994-2002
- ゲオルゲ・ポペスク 1995-1997
MF
[編集]- ベルント・シュスター 1980-1988
- アイトール・ベギリスタイン 1988-1995
- エウセビオ 1988-1995
- ホセ・マリア・バケーロ 1988-1997
- ギジェルモ・アモール 1988-1998
- ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア 1990-1994
- ジョゼップ・グアルディオラ 1990-2001
- ゲオルゲ・ハジ 1994-1996
- ロベルト・プロシネチキ 1995-1996
FW
[編集]- ゲーリー・リネカー 1986-1989
- フリオ・サリナス 1988-1994
- ミカエル・ラウドルップ 1989-1994
- フリスト・ストイチコフ 1990-1995
- ロマーリオ 1993-1995
- ジョルディ・クライフ 1994-1996(※当時はFW登録)
1990-1991シーズン
[編集]1991-1992シーズン
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 書籍
- アルフレッド・レラーニョ 著 上野 伸久、田岡 悠一 訳『レアル・マドリード vs FCバルセロナ 因縁の100年史』SBクリエイティブ、2012年