エリュシクトーン
エリュシクトーン(古希: Ἐρυσίχθων, Erysichthōn)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してエリュシクトンとも表記される。主に、
の2名が知られている。以下に説明する。
トリオプスの子
[編集]このエリュシクトーンは、トリオプスの子で、メーストラー[1][2](ムネーストラー[3])の父。一説によるとミュルミドーンの子[4][5]。エリュシクトーンは傲慢な人物だったので、デーメーテールに罰せられたという。
オウィディウス
[編集]オウィディウスの『変身物語』は、エリュシクトーンについて次のように語っている。テッサリアー地方にデーメーテールの聖森があり、1本の神聖な樫の巨木がそびえていた。これはデーメーテールが大切にしていた木で、その木の下ではニュンペーが舞い踊ったり、手をつないで幹を囲んだりした。人々もこれを信仰し、様々な祈願をしては、願いが叶えられると感謝のしるしとして記念の額や花輪を奉納していた。ところがエリュシクトーンは人々に木を切り倒すよう命令し、人々が躊躇しているのを見ると、自ら斧を取って木に斧を入れた。木は打ち震え、うめき声を発し、傷口から血を流した。人々は驚いて、その中の1人が勇気を振り絞ってエリュシクトーンを止めようとすると、エリュシクトーンは斧で彼の首を斬り落とした。また木に住んでいたニュムペーが姿を現し、破滅の運命が迫っていることを予言したが、エリュシクトーンは聞く耳も持たずに樫を切り倒した[6]。
これを知ったデーメーテールは「飢餓」に命じ、エリュシクトーンに決して癒えない激しい飢えを起させた。飢えに苦しんだエリュシクトーンはまたたく間に財産を食いつぶし、残った娘メーストラーをも売り飛ばした。メーストラーがポセイドーンに助けを求めると、ポセイドーンは彼女に変身する力を与えたので、メーストラーは別の人間に変身して逃げ帰った。そこでエリュシクトーンは何度も娘を売り飛ばし、そのたびにメーストラーは様々な動物に変身して逃げ帰り、父を助けた。しかしエリュシクトーンの飢えは癒えるどころか酷くなる一方であり、ついには自分の指や手足をも食らいつくした[6]。
ヘーシオドス
[編集]この物語は古く、ヘーシオドスの作と伝えられる『名婦列伝』でも、エリュシクトーンがデーメーテールの聖森の木を切ったために、女神によって激しい飢えを起されたと語られていた[1]。さらに、現存する断片によると、エリュシクトーンは狡猾で知られるシーシュポスから莫大な婚資を騙し取ることさえした。すなわち、シーシュポスは彼の娘メーストラーを息子グラウコスの花嫁にしようと考え、牛、羊、山羊の群れと引き換えに彼女を得たが、メーストラーは別の動物に変身して逃げ帰った。すぐにエリュシクトーンとシーシュポスの間でメーストラーをめぐる争いが起きたが、女神アテーナー以外に彼らを裁くことができる者はいなかった。その後、メーストラーはポセイドーンによってコス島に連れ去られ、コス島の王エウリュピュロスを生んだのち、エリュシクトーンを助けるために祖国に帰った[7]。
ヘーシオドスによると、エリュシクトーンは火のように激しく燃えさかる飢えから、アイトーン(燃えさかるの意)とも呼ばれた[1][8][5]。そのためメーストラーの父親はしばしばアイトーンと呼ばれた[9][10]。
アントーニーヌス・リーベラーリスでは、同様の物語がアイトーンとヒュペルメーストラーの父娘のものとして言及されている[11]。
なお、アイリアーノスはエリュシクトーンを大食漢の1人として数えている[5]。
系図
[編集]アイオロス | エナレテー | ゼウス | エウリュメドゥーサ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポセイドーン | カナケー | ペイシディケー | ミュルミドーン | ニュクテウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホプレウス | ニーレウス | トリオプス | ヒスキュラ | エポーペウス | アンティオペー | ゼウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アローエウス | イーピメデイア | ポセイドーン | ポルバース | エリュシクトーン | ゼートス | アムピーオーン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パンクラティス | アローアダイ | メーストラー | ポセイドーン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エウリュピュロス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルコーン | アンタゴラース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ケクロプスの子
[編集]このエリュシクトーンは、アテーナイの初代の王ケクロプスとアグラウロスの子で、ヘルセー、アグラウロス、パンドロソスと兄弟[12][13]。
一説によるとアテーナーとポセイドーンがアッティカの領有をめぐって争ったときに勝者の判定したのはエリュシクトーンだった[14]。しかしエリュシクトーンは若くして死に、子もいなかったため、ケクロプスの死後アテーナイの王権はクラナオスにわたった[13]。エリュシクトーンの死は彼がデロス島から帰る航海の途中のことで、プラシアイにはエリュシクトーンの墓があった[15]。なお、アテーナイのエイレイテュイアの神殿にあった最も古い神像はエリュシクトーンがデロス島から持ち帰ろうとしたものであった[16]。
脚注
[編集]- ^ a b c リュコプローン『アレクサンドラ』1393行への古註。
- ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.279a「メーストラー」の項。
- ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.72b「エリュシクトーン」の項。
- ^ “レスボスのヘッラーニーコス断片F7”. Barbaroi!. 2022年2月19日閲覧。
- ^ a b c アイリアーノス、1巻27。
- ^ a b オウィディウス『変身物語』8巻。
- ^ ヘーシオドス断片69、52行-93行(オクシュリュンコス・パピュルス、2495 fr. 21ほか)
- ^ ヘーシオドス断片69、5行-6行(Papyrus Cairensis Instituti Francogallici、322 fr. B)
- ^ “リュコプローン『アレクサンドラ』1393行。”. Theoi Greek mythology. 2022年2月9日閲覧。
- ^ ピロデモス『敬虔について』B6915-26 Obbink。
- ^ アントーニーヌス・リーベラーリス、17話。
- ^ アポロドーロス、3巻14・2。
- ^ a b パウサニアス、1巻2・6。
- ^ アポロドーロス、3巻14・1。
- ^ パウサニアス、1巻31・2。
- ^ パウサニアス、1巻18・5。