エマ・ステビンス
エマ・ステビンス Emma Stebbins | |
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シャーロット・クッシュマン(左)とエマ・ステビンス | |
生誕 |
1815年9月1日 アメリカ合衆国、ニューヨーク |
死没 |
1882年10月25日 アメリカ合衆国、ニューヨーク |
エマ・ステビンス(Emma Stebbins、1815年9月1日 - 1882年10月25日)はアメリカ合衆国の彫刻家である。ニューヨーク、セントラル・パークの「ベテスダの泉」の像「Angel of the Waters」をデザインしたことで知られている[1][2]。
略歴
[編集]ニューヨークの裕福な銀行家の家の9人兄弟の6番目の子供に生まれた。兄にニューヨークの証券取引所の所長を務め、後に下院議員になるヘンリー・G・ステビンス(Henry G. Stebbins: 1811-1881)がいる。美術の才能を示し、はじめ画家として働き、肖像画などを描き、1842年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員の候補になり[1][3]、1847年にペンシルベニア美術アカデミーの展覧会に作品を出展した[2]。
1857年に兄が支援してローマに留学した。ローマでは1852年からアメリカ人女性ハリエット・ホズマーが彫刻を学んでいた[3]。ステビンスもウェールズ出身の彫刻家ジョン・ギブソン(John Gibson: 1790-1866)とアメリカ出身の彫刻家、ベンジャミン・ポール・エイカーズ(Benjamin Paul Akers: 1825-1861)から彫刻を学び[3] 、元女優のシャーロット・クッシュマン(Charlotte Cushman:1816-1876)と親しくなった。エマ・ステビンスはクッシュマンの胸像を制作し、クッシュマンとナポリを旅した。1869年にクッシュマンが癌にかかると、亡くなるまでの2年間ステビンスはクッシュマンの世話をして、没後、伝記を執筆した[2][4]。
彫刻家としてのステビンスの作品として最も知られているのは、ニューヨーク、セントラル・パークの噴水「ベテスダの泉」(Bethesda Terrace and Fountain)の彫像で、噴水の工事は南北戦争中の1861年から始まり、1867年頃彫像は鋳造され、1873年に噴水全体は完成した。兄のヘンリー・G・ステビンスがセントラル・パークの委員会の委員であったため、「縁故主義」の批判を受けることになったが、エマ・ステビンスはニューヨークの公共的な仕事を委託された最初の女性アーティストになった。
作品
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「ベテスダの泉」
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ニューヨークコロンバス公園のコロンブス像 (1867)
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ホーレス・マン-奴隷制度廃止論者
参考文献
[編集]- ^ a b “Overlooked No More: Emma Stebbins, Who Sculpted an Angel of New York” (英語). The New York Times. (2019年5月29日). ISSN 0362-4331 2019年10月19日閲覧。
- ^ a b c “Stebbins, Emma | Grove Art” (英語). www.oxfordartonline.com. doi:10.1093/gao/9781884446054.article.T081128. 2019年10月19日閲覧。
- ^ a b c Milroy, Elizabeth (1993). “The Public Career of Emma Stebbins: Work in Marble”. Archives of American Art Journal 33 (3): 2–12. doi:10.1086/aaa.33.3.1557502. ISSN 0003-9853 .
- ^ Milroy, Elizabeth (1994). “The Public Career of Emma Stebbins: Work in Bronze”. Archives of American Art Journal 34 (1): 2–14. doi:10.1086/aaa.34.1.1557673. ISSN 0003-9853 .