エマニュエル・スチュワード
エマニュエル・スチュワード(Emanuel Steward、1944年7月7日 - 2012年10月25日)は、アメリカ合衆国のボクシングトレーナー、テレビ解説者。ウェストバージニア州出身。
来歴
[編集]幼少・アマチュア時代
[編集]エマニュエル・スチュワードは1944年にウェストバージニア州で生まれる。両親が離婚したことで、12歳の時に母と一緒にミシガン州デトロイトに移り住んだ。短期間自動車業界で仕事をした後、ジョー・ルイスやエディ・ファッチが居たブルースター・レクリエーション・センターに入会してボクシングを始める。アマチュアボクシングでは1963年のナショナルゴールデングローブトーナメントでの勝利を含め、95勝3敗という戦績を残している。しかし、家族の経済的理由などから就職が求められプロの道を諦めて、電気技術者として働くようになった。
トレーナー時代
[編集]1971年に弟のジェームズに付き添って近所のクロンクジムに行くようになったが、スチュワード自身は同ジムのパートタイムコーチになった。直ぐに多くの優秀なアマチュアボクサーを輩出し、全米に認知されるようなトレーナーとなった。トーマス・ハーンズら数々の選手を育て、1996年には国際ボクシング名誉の殿堂博物館に殿堂入りした[1]。
晩年はクロンク・ジムの会長になった。
2012年10月25日、シカゴの病院で結腸ガンのため死去。9月から憩室炎のために入院していた[2]。68歳没。
クロンク・ジム
[編集]第一次世界大戦後にオープン、1980年にヒルマー・ケンティーがジム初の世界王者となる。最盛期の1990年代にはアリゾナ州ツーソンにもジムを開いていた。
経営が苦しくなっていた2006年9月に水道管などの設備を盗まれ再建を断念、2006年11月に閉鎖された。(閉鎖後も建物は現存していたが、2017年10月7日に放火とみられる失火により焼失した)[3]
その後、移転して細々と運営していたが、スチュワードの死後に再び閉鎖。
2015年5月に再オープンした[4]。
主な指導選手
[編集]- トーマス・ハーンズ
- イベンダー・ホリフィールド
- フリオ・セサール・チャベス
- レノックス・ルイス
- オスカー・デ・ラ・ホーヤ
- ウラジミール・クリチコ
- ジャーメイン・テイラー
- カーミット・シントロン
- ユリオルキス・ガンボア[5]
脚注
[編集]- ^ “Emanuel Steward” (英語). 国際ボクシング名誉の殿堂博物館. 2012年3月6日閲覧。
- ^ Hall of Fame boxing trainer Emanuel Steward dead at 68 USA TODAY 2012年10月26日閲覧
- ^ “World-famous Kronk Gym destroyed by suspicious fire in Detroit”. Motor City Muckraker (2017年10月8日). 2017年10月30日閲覧。
- ^ “Opening Event Monday For New Version Of Detroit’s Kronk Gym”. CBS Local Media (2015年5月20日). 2015年5月20日閲覧。
- ^ Dan Rafael (2011年10月27日). “Yuriorkis Gamboa hires new trainer” (英語). ESPN. 2012年3月15日閲覧。