エドワード・エジャートン
エドワード・クリストファー・エジャートン(Edward Christopher Egerton、1816年7月27日 – 1869年8月27日)は、イギリスの政治家。エジャートン家出身で保守党に属し、庶民院議員、外務省政務次官を務めた。
生涯
[編集]ウィルブラハム・エジャートンと妻エリザベス(1853年4月28日没、第2代準男爵サー・クリストファー・サイクスの娘)の六男として[1]、1816年7月27日にチェシャーのタットン・パークで生まれた[2]。初代エジャートン男爵ウィリアム・エジャートンの弟にあたる[1]。
ハーロー校を経て[2]、1833年5月23日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに進学、1837年にB.A.の学位を修得した[3]。同年から1846年までオックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェローを務め、1840年6月12日にインナー・テンプルで弁護士資格免許を取得した[2]。1841年にオックスフォード大学でB.C.L.の学位を修得した[3]。
1850年7月、シティ・オブ・チェスター選挙区(2人区)の補欠選挙に保守党候補として出馬したが、645票対986票でホイッグ党候補に敗れた[4]。1852年イギリス総選挙で保守党候補としてマクルズフィールド選挙区(2人区)から出馬、530票(得票数2位)で当選した[5]。その後、1857年、1859年、1865年の総選挙においてそれぞれ556票(得票数2位)、無投票、471票(得票数1位)で再選した[5]。1868年イギリス総選挙でイースト・チェシャー選挙区(2人区)に鞍替えして、無投票で当選した[6]。
1864年、オックスフォード大学よりM.A.の学位を授与された[3]。第三次ダービー伯爵内閣において、1866年7月から1868年12月まで外務省政務次官を務めた[2]。
1869年8月27日にイタリア王国バヴェーノで死去した[2]。
家族
[編集]1845年8月21日、メアリー・ピアポント(Mary Pierrepont、1905年6月12日没、第2代マンヴァーズ伯爵チャールズ・ピアポントの娘)と結婚、2男4女をもうけた[1]。
- チャールズ・オーガスタス(1846年8月24日 – 1912年10月13日) - 1888年4月17日、メイベル・ブラッシー(Mabelle Brassey、1927年2月18日没、初代ブラッシー伯爵トマス・ブラッシーの娘)と結婚、子供あり[1]
- シャーロット(1926年5月14日没[1])
- メアリー・アリス - 1902年1月7日、ビーチャム・タワー(1904年12月31日没)と結婚[1]
- エミリー・マーガレット(1894年3月19日没) - 1882年9月21日、チャールズ・ウィリアム・アレグザンダー・フィールディング閣下(Hon. Charles William Alexander Feilding、1893年11月30日没、第7代デンビー伯爵バジル・フィールディングの息子)と結婚[1]
- ジョージナ・レニラ(Georgina Renira、1930年11月15日没) - 生涯未婚[1]
- ヒュー・エドワード(1855年4月19日 – 1927年5月21日) - 1886年7月7日、マーガレット・アリス・トロッター(Margaret Alice Trotter、アレグザンダー・トロッターの娘)と結婚、子供あり[1]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 872.
- ^ a b c d e Boase, Frederic (1892). Modern English Biography: Containing Many Thousand Concise Memoirs of Persons who Have Died Since the Year 1850, with an Index of the Most Interesting Matter (英語). Vol. I. Truro: Netherton and Worth. p. 969.
- ^ a b c Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 415. ウィキソースより。
- ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 86. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 198. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 359. ISBN 978-1-349-02349-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Edward Egerton
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョン・ブロックルハースト ジョン・ウィリアムズ |
庶民院議員(マクルズフィールド選挙区選出) 1852年 – 1868年 同職:ジョン・ブロックルハースト |
次代 ウィリアム・ブロックルハースト デイヴィッド・チャッドウィック |
新設選挙区 | 庶民院議員(イースト・チェシャー選挙区選出) 1868年 – 1869年 同職:ウィリアム・リー |
次代 ウィリアム・カンリフ・ブルックス ウィリアム・リー |
公職 | ||
先代 オースティン・ヘンリー・レヤード |
外務省政務次官 1866年 – 1868年 |
次代 アーサー・オトウェイ |