コンテンツにスキップ

エドゥアール3世 (バル公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドゥアール3世
Édouard III
バル公
エドゥアール3世の紋章
在位 1411年 - 1415年

出生 1377年6月下旬
死去 1415年10月25日
フランス王国アジャンクール
家名 スカルポン家
父親 バル公ロベール1世
母親 マリー・ド・フランス
テンプレートを表示

エドゥアール3世フランス語:Édouard III, 1377年6月下旬 - 1415年10月25日)は、ポンタ=ムッソン侯(在位:1399年 - 1415年)、バル公(在位:1411年 - 1415年)。

生涯

[編集]

アンリおよびフィリップが1396年のニコポリスの戦いの最中またはその後すぐに死去した後にバル公領の継承者となった。

1405年、フランス王シャルル6世よりイングランド人に脅かされていたブーロネーの防衛を委ねられた。1406年末、オルレアン公ルイの命によりギュイエンヌ遠征に加わったが、赤痢によりフランス軍は壊滅した。1407年のオルレアン公ルイの暗殺の後、エドゥアール3世はブルゴーニュ公ジャン1世に合流し、ブルゴーニュ人を結集させた。1411年4月12日に父の跡を継いでバル公となったが、1415年にアジャンクールの戦いで戦死した[1]。エドゥアール3世は庶子があったものの未婚で、弟ルイ1世が公位を継承した。

脚注

[編集]
  1. ^ The Battle of Agincourt: Sources and Interpretations, ed. Anne Curry, (The Boydell Press, 2000), p. 259.

参考文献

[編集]
  • Poull, Georges (1994) (French). La Maison souveraine et ducale de Bar. Presses Universitaires de Nancy 
  • Tuchman, Barbara (1978). A Distant Mirror. New York: Alfred A. Knopf 
先代
ロベール1世
バル公
1411年 - 1415年
次代
ルイ1世