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エドゥアール・エリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドゥアール・エリオ
Édouard Herriot
生年月日 1872年7月5日 - 1957年3月26日
出生地 フランスの旗 フランス共和国 オーブ県トロワ
没年月日 (1957-03-26) 1957年3月26日(84歳没)
死没地 フランスの旗 フランス ローヌ県リヨン
所属政党 急進社会党

在任期間 1924年6月14日 - 1925年10月4日
元首 ガストン・ドゥメルグ大統領

フランスの旗 フランス第三共和政首相
在任期間 1926年7月19日 - 1926年7月23日
元首 ガストン・ドゥメルグ大統領

フランスの旗 フランス第三共和政首相
在任期間 1932年6月3日 - 1932年12月18日
元首 ポール・ドゥメール大統領
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エドゥアール・エリオ(Édouard Herriot、1872年7月5日1957年3月26日)は、フランス政治家フランス第三共和制における急進社会党(急進党)の領袖で、3回にわたって首相を務めた。

生涯

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高等師範学校を卒業後、急進社会党に参加。ドレフュス事件ではエミール・ゾラ擁護の活動をリヨンを中心に展開し、1904年にリヨン市議に初当選。政治家としてのキャリアをスタートする。その後リヨン市長の傍ら、急進社会党の領袖として三度(1924年・1926年・1932年)内閣を組織。最初のうちはアリスティード・ブリアンと共にレイモン・ポアンカレが強行したルール問題の収拾に動くなど対独協調政策を採る一方で、ソビエト連邦との外交関係を強めた。

その後、社会党共産党と共に人民戦線に参加。レオン・ブルム内閣が成立すると、自らは下院議長に就いた。ドイツ占領下では沈黙を強いられたものの、連合国軍がフランスに上陸するとヴィシー政権から後継首班を打診されるもこれを拒否している。第四共和政下でも国民会議議長を務めた。

訳書

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E・ヱリオ『ヨーロッパ合衆国』鹿島守之助(訳)1962年  出版社 鹿島研究所 381p.

先代
マルセル・サンバ
公共事業・運輸相
1916年 - 1917年
次代
ジョルジュ・デスプラ
先代
供給相
1916年 - 1917年
次代
モーリス・ヴィオレット
先代
フレデリック・フランソワ=マルサル
フランスの首相
1924年 - 1925年
次代
ポール・パンルヴェ
先代
エドモン・ルフェーブル・デュ・プレ
外相
1924年 - 1925年
次代
アリスティード・ブリアン
先代
ポール・パンルヴェ
下院代議院)議長
1925年 - 1926年
次代
アリスティード・ブリアン
先代
アリスティード・ブリアン
フランスの首相
1926年
次代
レイモン・ポアンカレ
先代
アリスティード・ブリアン
外相
1926年
次代
アリスティード・ブリアン
先代
エドゥアール・ダラディエ
公共教育相
1926年 - 1928年
次代
ピエール・マロ
先代
アンドレ・タルデュー
フランスの首相
1932年
次代
ジョゼフ・ポール=ボンクール
先代
アンドレ・タルデュー
外相
1932年
次代
ジョゼフ・ポール=ボンクール
先代
国務相
1934年 - 1936年
次代
先代
フェルナン・ブイッソン
下院議長
1936年 - 1940年
次代
先代
ヴァンサン・オリオール
国民議会議長
1947年 - 1954年
次代
アンドレ・ル・トロケ
前任
オクターヴ・オブリー
アカデミー・フランセーズ
席次8

第17代:1946年 - 1957年
後任
ジャン・ロスタン