エウジェニオ・ディ・サヴォイア (軽巡洋艦)
エウジェニオ・ディ・サヴォイア | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | アンサルド、ジェノバ造船所 |
運用者 |
イタリア王立海軍 ギリシャ海軍 |
艦種 | 嚮導巡洋艦 (軽巡洋艦) |
級名 | エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ型 |
艦歴 | |
起工 | 1933年7月6日 |
進水 | 1935年3月16日 |
就役 | 1936年1月16日 |
最期 | 1950年にギリシャに移籍 |
その後 | 1965年に退役、1973年に売却 |
要目 | |
基準排水量 | 8,450トン |
満載排水量 | 10,539トン |
全長 | 186.9 m m |
最大幅 | 17.5 m |
吃水 | 6.1 m |
ボイラー | ヤーロー式重油専焼水管缶6基 |
主機 | パーソンズ式(サヴォイアはベルッツォ式)ギヤード・タービン2基2軸推進 |
推進 | 2軸 |
出力 | 計画 110,000 hp |
速力 | 36.5 ノット |
航続距離 | 3,900 海里 / 14ノット |
乗員 | 578名 |
兵装 |
Models 1929 15.2cm(53口径)連装砲4基 Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲3基 Models 1932 3.7cm(54口径)連装機関砲4基 Model 1931 13.2mm(75.7口径)連装機銃6基 53.3cm三連装魚雷発射管2基 |
装甲 |
舷側:70~105mm(水線部) 甲板:35mm 主砲塔:90mm(前盾) 主砲バーベット:100mm 司令塔:100mm |
搭載機 | 水上偵察機2機、カタパルト1基搭載 |
エウジェニオ・ディ・サヴォイア (イタリア語: Eugenio di Savoia) は、イタリア王立海軍が第二次世界大戦で運用したエマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級軽巡洋艦[1]。本艦は戦争を生き延びたが、賠償艦に指定される[2]。ギリシャ海軍へ譲渡されてエリと改名、1964年まで使用された[注釈 1]。
概要
[編集]エウジェニオ・ディ・サボイアは、エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級としても知られるコンドッティエリ級軽巡洋艦の第4グループに属していた。 エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級の設計は、ライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦を基礎にしており、排水量がわずかに増加し、装甲が大幅に強化されていた。内部機械も再配置されていた 。 エウジェニオ・ディ・サヴォイアはジェノヴァのアンサルド社によって建造され、サヴォイア=カリニャーノ公子エウジェーニオ・フランチェスコにちなんで名付けられた。
艦歴
[編集]第二次世界大戦
[編集]1937年2月中旬、 フランコ将軍が率いる反乱軍の支援のために、スペインのバルセロナ沖合に展開、市街地に艦砲射撃を加えた[注釈 2]。 この巡洋艦は第7巡洋艦隊に加わった。1938年になると、同戦隊司令官ソミグーリ提督の指揮下で姉妹艦「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」と世界周航航海をおこない[6]、その際に日本を訪問する予定であった[注釈 3]。だがズデーテン危機が勃発して国際情勢が緊迫化、8月31日のナポリ出発は延期される[注釈 4]。 11月にナポリを出発、カリブ海、南アメリカを訪れた[注釈 5]。 イタリア領事館の公式発表をもとにハワイ経由で日本訪問との報道もあったが[10][11]、実現せず1939年3月にラスペツィアに帰還した。7月中旬、チアノ外務大臣を乗せてフランコ政権下のスペインを訪問した[12][注釈 6]。
第二次世界大戦の間に、彼女は以下の作戦に参加した。
1941年5月1日と6月3日に他の巡洋艦と共にトリポリ沖へ機雷を敷設[14]。同年12月19日にイギリス海軍のK部隊がこの機雷原に突入し、軽巡洋艦ネプチューン (HMS Neptune, 20) と駆逐艦カンダハー (HMS Kandahar, F28) が沈没、軽巡2隻(オーロラ、ペネロピ)が大破するなどの被害を出している[15]
1942年12月4日に他の巡洋艦とともにナポリに停泊中、 B-24リベレーター爆撃機による爆撃を受け、ライモンド・モンテクッコリが大破、ムツィオ・アッテンドーロが沈没した[16][17]。 1943年のイタリア降伏後、本艦はスエズにおいて練習艦として使用された。
戦後
[編集]終戦後の1950年に戦争賠償としてイタリアからギリシャに移送された。 1951年に正式に編入され、船の名前は第一次バルカン戦争におけるエリの海戦(en:Naval Battle of Elli)と、宣戦布告前にイタリア王立海軍の潜水艦に撃沈された軽巡洋艦「エリ」の艦名を受け継ぎ[注釈 7]、エリ (Έλλη) に改名された。 エリは前任の装甲巡洋艦「イェロギオフ・アヴェロフ (Γεώργιος Αβέρωφ) 」に代わってギリシャ海軍の総旗艦となり、当時のギリシャ国王のパウロス1世 の御召艦として1952年6月にコンスタンティノープル 、1955年9月にユーゴスラビア 、1956年6月にトゥーロン 、1958年5月にレバノンを親善訪問した。 エリは1959年にクレタ島のスダ湾に移され、クレタ島及びイオニア海方面の海軍司令本部として使用された[21][22]。 1965年に退役し、海軍刑務所として使用された。 1967年から1974年までの軍事政権期間中、一部の海軍人が抵抗活動のかどでこの艦内に拘留された。 エリは1973年に売却された。
出典
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時の日本語表記では「ヘレ」や「ヘルレ」[3]、『世界の艦船』では「ヘレ」と表記する[4]。
- ^ (十八日バルセロナ發)[5] カタロニア政府宣傳省公報によれば十五日バルセロナを砲撃せるはイタリーの軍艦であるとハツキリ指摘し、砲彈のマークがイタリー製でゼノアから來たことを示してゐると(以下略)
- ^ ムソリニ伊首相は海相としてかねて日伊海軍交歡の具體化を考慮中であつたが二十三日イタリー海軍中の新鋭巡洋艦二隻を極東の友邦に派遣する事に決定した、特派巡洋艦は第七戰隊に屬するサヴオイア號及びデュカ、ダオスタ號の二隻で第七戰隊司令官ソミリ中將自ら司令官として來る八月三十一日ナポリ出發、南米經由明年一月二十二日横濱到着、その後長崎、仁川、大連等を歴訪し日伊親善の實を擧げんとするものである[7](記事おわり)
- ^ 【東京特電一日發】[8]ローマ來電=卅一日ナポリ發訪日の途につく豫定であつたイタリー巡洋艦"ユーゼニオ・ヂ・サヴォイア"及び"エマヌエレ・フイリベルト・ドエウカ・ダオスタ"の二艦は突如その出發を無期延期するに決したが右はチエツコ問題を中心として歐洲政局の急迫を暗示するものとして重大視せられてゐる、しかしてイタリーとしては最後の場合現在中歐における政治行動を羈絆するものはベルリン・ローマ樞軸のみであるから當然獨自の見解に基き何等かこの羈絆に伴ふ對獨義務を遂行することは極めて明白であるといはれてゐる【寫眞ダオスタ(上)サヴォイア兩艦】(註)"ユーゼニオ・ヂ・サヴォイア"は一九三五年進水 "エマヌエリ・フィリベルト・ドウカ・ダオスタ"は一九三四年進水共に七二八三噸の新鋭巡洋艦で六吋砲八、二十一吋水雷發射管六 艦載機三を持つてゐる(記事おわり)
- ^ 防共の友邦伊太利の巡洋艦エンジエニオド・サボイア號を旗艦とする第七戰隊二隻は日本訪問の途中過般ブラジルに立寄つたが、來る十七日目下サントス港碇泊中のサボイア艦上で盛大なるレセプションが行はれ、日本側からは坂根總領事が出席[9](記事おわり)
- ^ (十日ローマ發東方)[13] イタリー、スペイン親善強化の重大使命を帶びてスペインを公式訪問するチアノ外相一行は九日ガイダ軍港より巡洋艦ユーゼニオ・デイ・サボイア號に搭乗、一路バルセロナに向つた(記事おわり)
- ^ 初代エリがイタリアのスクア―ロ級潜水艦デルフィーノに撃沈されたのは1940年8月15日で[18]、当時は「国籍不明の潜水艦により撃沈された」と報じられた[3][19]。これは10月28日のギリシャ・イタリア戦争勃発前の出来事であった[20]。
脚注
[編集]- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 121イタリア/軽巡洋艦「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」級 EMANUELE FILIBERTO DUCA D'AOSTA CLASS
- ^ イタリア平和条約 1947, pp. 200–201ろ ソヴイエト連邦、連合王國、合衆國及びフランス國の政府の自由処分に委される海軍艦船の表
- ^ a b “希驅逐艦二隻 怪飛行機が爆撃”. Nippu Jiji, 1940.08.16. pp. 01. 2024年9月6日閲覧。
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 144ギリシア/軽巡洋艦「ヘレ」 HELLE
- ^ “バ市砲撃は イタリー軍艦”. Singapōru Nippō, 1937.02.19. pp. 02. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “日本へ"親善艦隊" ★……イタリー派遣と決定”. Burajiru Jihō, 1938.09.18. pp. 03. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “伊國新鋭艦明春來訪 日伊海軍の交歡”. Kawai Shinpō, 1938.07.19. pp. 01. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “伊太利の訪日兩艦 突如出發を延期 歐洲政情の緊迫化に對處”. Manshū Nichinichi Shinbun, 1938.09.02. pp. 02. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “日本訪問の途中 來伯した伊國軍艦 レセプションに坂根總領事欣然出席”. Nippaku Shinbun, 1938.12.14. pp. 07. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “伊太利の兩新鋭艦 三月當地に寄港 防共盟邦日本訪問の途次 ソミグリ提督が坐乘”. Nippu Jiji, 1939.01.10. pp. 03. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “日本親善訪問の 伊太利兩巡洋艦 三月下旬ホノルルに寄港”. Nippu Jiji, 1939.02.03. pp. 06. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “チアノ外相軍艦で西班牙へ”. Nippu Jiji, 1939.07.11. pp. 05. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “チアノ外相 西班牙に向ふ”. Singapōru Nippō, 1939.07.12. pp. 02. 2024年9月10日閲覧。
- ^ "The Demise of Force "K"", pp. 99-100
- ^ "The Demise of Force "K"", pp. 104-109
- ^ History of the Second World War. Volume 4, Purnell and Sons Ltd., p. 1412
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 120イタリア/軽巡洋艦「ライモンド・モンテクッコリ」級 RAIMONDO MONTECUCCLI CLASS DUCA D'AOSTA CLASS
- ^ 同盟旬報(通号114号) 1940, p. 91希政府の態度急硬化 アテネ【八・一五】
- ^ “ギリシヤ國 戰闘準備”. Kashū Mainichi Shinbun, 1940.08.16. pp. 02. 2024年9月6日閲覧。
- ^ “舞臺は一轉地中海へ 戰果バルカンに飛ぶ! ギリシヤの運命風前の燈火”. Nichibei Shinbun, 1940.10.30. pp. 01. 2024年9月6日閲覧。
- ^ C. Paizis-Paradellis (2002). Hellenic Warships 1829–2001 (3rd Edition). Athens, Greece: The Society for the study of Greek History. pp. 64–65. ISBN 960-8172-14-4.
- ^ "Elli II ex Eugenio di Savoia" [1] Hellenic Navy,
参考文献
[編集]- 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。
- Joseph Caruana , "The Demise of Force "K"", Warship International, Vol. 43, No. 1, International Naval Research Organization, 2006, pp. 99-111
- Brescia, Maurizio (2012). Mussolini's Navy: A Reference Guide to the Regina Marina 1930–45. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-544-8
- Conway's All The World's Fighting Ships 1922–1946. London: Conway Maritime Press. (1980). ISBN 0-85177-146-7
- Fraccaroli, Aldo (1968). Italian Warships of World War II. Shepperton, UK: Ian Allan. ISBN 0-7110-0002-6
- Whitley, M. J.『Cruisers of World War Two: An International Encyclopedia』Naval Institute Press、Annapolis, Maryland、1995年。ISBN 1-55750-141-6。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 外務省条約局 訳編『イタリア平和條約』外務省条約局、1947年6月 。
- アジア歴史資料センター(公式)
- 『同盟旬報第4巻第23号(通号114号)(同盟通信社)』1940年8月。Ref.M23070022800。
- 『同盟旬報第4巻第24号(通号115号)(同盟通信社)』1940年9月。Ref.M23070023000。