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エイブリー・ジョンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エイブリー・ジョンソン
Avery Johnson
2016年のジョンソン
引退
愛称 Little General
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1965-03-25) 1965年3月25日(59歳)
出身地 ルイジアナ州の旗ルイジアナ州ニューオリンズ
身長(現役時) 180cm (5 ft 11 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
高校 セントオーガスティン高等学校英語版
大学 ニューメキシコ・ジュニア大学英語版 (1983–1984)
キャメロン大学英語版 (1984–1985)
サザン大学 (1986–1988)
NBAドラフト 1988年 / ドラフト外
プロ選手期間 1988年–2004年
ポジション PG
シュート
背番号歴 15, 6, 5
永久欠番 スパーズ  6 
指導者期間 2004年–2019年
経歴
選手時代:
1988パームビーチ・スティングレイ英語版
19881990シアトル・スーパーソニックス
1990デンバー・ナゲッツ
1991サンアントニオ・スパーズ
1992ヒューストン・ロケッツ
1992–1993サンアントニオ・スパーズ
1993–1994ゴールデンステート・ウォリアーズ
19942001サンアントニオ・スパーズ
2001–2002デンバー・ナゲッツ
20022003ダラス・マーベリックス
2003–2004ゴールデンステート・ウォリアーズ
コーチ時代:
2004–2005ダラス・マーベリックス (AC)
20052008ダラス・マーベリックス
20102012ニュージャージー / ブルックリン・ネッツ
2015–2019アラバマ大学
受賞歴

選手時代


コーチ時代

NBA通算成績
得点数 8,817 (8.4 ppg)
リバウンド数 1,751 (1.7 rpg)
アシスト数 5,846 (5.5 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

エイブリー・ジョンソン(Avery Johnson, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオリンズ出身の元プロバスケットボール選手および指導者。選手時代は北米男子プロバスケットボールNBAサンアントニオ・スパーズなどで活躍し、引退後はダラス・マーベリックスニュージャージー・ネッツなどでヘッドコーチを務めた。5フィート11インチの低い身長ながらポイントガードとしてリーダーシップを発揮しチームを率いたため、スパーズ在籍時、チームメイトのデビッド・ロビンソン(提督:Admiral)に対してLittle General(小さな将軍) と呼ばれた[1]

選手時代

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1988年、彼はドラフトで指名されなかったが[2]シアトル・スーパーソニックスを皮切りに、デンバー・ナゲッツヒューストン・ロケッツサンアントニオ・スパーズゴールデンステート・ウォリアーズダラス・マーベリックスで16年間NBAでプレイした。 彼が最も知られたのはサンアントニオ・スパーズに在籍していた時代(1991年,1992-1993年,1994-2001年)で特に1999年ニューヨーク・ニックスとのNBAファイナル第5戦では試合を決める重要なシュートを決めた。

ヘッドコーチ時代

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2003-04シーズン終了後、彼はドン・ネルソンの下でマーベリックスのプレイヤーコーチとなった。2年間をネルソン・ヘッドコーチに学んだジョンソンは2004年10月28日に引退して専任コーチとなった。そして2005年3月19日にアシスタントコーチからヘッドコーチへ昇格した。

ジョンソンはチームを引き継いだ後、2004-05シーズンを16勝2敗して、プレイオフ1回戦でヒューストン・ロケッツを破ったが、カンファレンス準決勝でフェニックス・サンズに敗れた。ジョンソンは2005年4月に就任後最初の月に月間最優秀コーチに選ばれたがこれは史上初めてのことだった。

2005-06シーズンはより成功したものになった。ジョンソンは2005年11月に再び月間最優秀コーチとなり(自身2度目のそして4月の受賞に次いで、2ヶ月連続)、NBAのコーチとして初の就任後2ヶ月連続受賞者となった。2006年1月28日にはユタ・ジャズを降して50勝12敗として50勝1番乗りを果たした。2月にはオールスターゲームのウェスタン・カンファレンスのコーチとして選ばれた。3月15日には、82試合を指揮した(フルシーズン指揮した)最初のシーズンでの最多勝記録を更新する60勝をあげた。マーベリックスはウェスタン・カンファレンスで2番目の勝率だったが同地区のスパーズが地区優勝したため、プレイオフ第4シードだった。プレイオフでは、メンフィス・グリズリーズ、前年のNBAチャンピオンのサンアントニオ・スパーズ、フェニックス・サンズを倒して、マーベリックスを初のNBAファイナルへ導いた。しかしチームは2連勝したもののその後4連敗して敗れ去った。4月下旬、初めてフルシーズンを通して指揮を執ったシーズンながら最優秀コーチ賞を獲得した[3]

2006-07シーズンは67勝の文句なしの成績を収め、チームをカンファレンス第1シードでプレーオフに導いた。プレーオフファーストラウンドで元上司ドン・ネルソン率いるゴールデンステート・ウォリアーズと対戦。師弟対決となったシリーズは、ウォリアーズの速い攻撃スタイルに対応できず、2勝4敗と歴史的なアップセットを喫した。翌2007-08シーズンも51勝の好成績でカンファレンス第4シードでプレーオフに臨んだが、プレーオフファーストラウンドでニューオーリンズ・ホーネッツに敗れ、2年連続ファーストラウンド敗退となった。シーズン後、責任をとる形でヘッドコーチを解任された[4]。2008年から2年間CNNESPNNBA解説者を務め、2009-10、2010-11、2011-12の3シーズン、ニュージャージー・ネッツのヘッドコーチを務めた。

人物

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ヘッドコーチになってから131試合目で100勝をあげ、NBA記録を作った。この記録は2012年、シカゴ・ブルズトム・ティボデューに更新された[5]

スパーズの通算アシスト記録を持っていたが、2012年2月6日、トニー・パーカーによって記録が更新された[6]

NBA個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン  

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1988–89 SEA 43 0 6.8 .349 .111 .563 .6 1.7 .5 .1 1.6
1989–90 SEA 53 10 10.8 .387 .250 .725 .8 3.1 .5 .0 2.6
1990–91 DEN 21 4 10.3 .426 .000 .656 1.0 3.7 .7 .1 3.8
1990–91 SAS 47 10 15.8 .483 .200 .691 1.2 3.3 .7 .0 5.1
1991–92 SAS 20 14 23.3 .509 .200 .750 1.8 5.0 1.1 .2 6.8
1991–92 HOU 49 1 15.8 .464 .300 .609 .9 3.4 .8 .1 5.1
1992–93 SAS 75 49 27.1 .502 .000 .791 1.9 7.5 1.1 .2 8.7
1993–94 GSW 82 70 28.4 .492 .000 .704 2.1 5.3 1.4 .1 10.9
1994–95 SAS 82 82 36.7 .519 .136 .685 2.5 8.2 1.4 .2 13.4
1995–96 SAS 82 82 37.6 .494 .194 .721 2.5 9.6 1.5 .3 13.1
1996–97 SAS 76 76 32.5 .477 .231 .690 1.9 6.8 1.3 .2 10.5
1997–98 SAS 75 73 35.7 .478 .154 .726 2.0 7.9 1.1 .2 10.2
1998–99 SAS 50 50 33.4 .473 .083 .568 2.4 7.4 1.0 .2 9.7
1999–00 SAS 82 82 31.4 .473 .111 .735 1.9 6.0 .9 .2 11.2
2000–01 SAS 55 20 23.5 .447 .167 .683 1.5 4.3 .6 .1 5.6
2001–02 DEN 51 13 23.5 .486 .000 .747 1.3 5.1 .7 .2 9.4
2001–02 DAL 17 0 8.9 .429 .706 .3 1.6 .3 .1 3.2
2002–03 DAL 48 0 9.0 .420 .000 .769 .6 1.3 .3 .0 3.3
2003–04 GSW 46 1 13.8 .402 .000 .667 .7 2.4 .6 .1 4.6
通算 1,054 637 25.3 .479 .145 .706 1.7 5.5 1.0 .1 8.4

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1989 SEA 6 0 5.2 .417 .000 .500 .7 .8 .7 .0 1.8
1991 SAS 3 0 6.3 .000 .000 1.000 .0 1.3 .3 .0 .7
1993 SAS 10 10 31.4 .514 .000 .714 3.1 8.1 1.0 .1 8.2
1994 GSW 3 0 13.7 .529 .000 1.0 3.3 1.3 .3 6.0
1995 SAS 15 15 38.3 .517 .000 .621 2.1 8.3 1.3 .4 14.5
1996 SAS 10 10 40.7 .430 .000 .704 3.6 9.4 2.0 .1 12.3
1998 SAS 9 9 38.0 .604 .000 .667 1.4 6.1 1.0 .0 17.3
1999 SAS 17 17 38.4 .487 .333 .681 2.5 7.4 1.2 .1 12.6
2000 SAS 4 4 36.0 .452 .714 2.3 5.3 1.0 .0 12.0
2001 SAS 13 0 21.6 .386 .000 .533 1.2 3.2 .8 .1 5.8
通算 90 65 31.2 .486 .063 .661 2.1 6.2 1.1 .1 10.5

脚注

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  1. ^ Scoop Jackson. “The Little general that could”. ESPN. 2012年3月20日閲覧。
  2. ^ B・ウォーレスが現役引退を表明”. nba.co.jp (2012年2月14日). 2012年3月20日閲覧。
  3. ^ Avery Johnson”. christianstoriesonline.com. 2012年3月20日閲覧。
  4. ^ Avery Johnson dismissed as coach”. nba.com (2008年4月30日). 2012年3月20日閲覧。
  5. ^ CHI vs. ORL:T・ティボドーHCが史上最短で100勝目をマーク!”. nba.co.jp (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。
  6. ^ プレイヤー・オブ・ザ・ウィークにP・ピアースとT・パーカーが選出”. nba.co.jp (2012年2月7日). 2012年3月20日閲覧。

外部リンク

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