コンテンツにスキップ

ウルグアイサッカー連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウルグアイサッカー連盟スペイン語: Federación Uruguaya de Football)は、かつてウルグアイに存在したサッカーを統括する競技運営団体。略称はFUFウルグアイサッカー協会(Asociación Uruguaya de Fútbol、AUF)とは別組織。アマチュアリーグ時代の1923年から1925年にかけてAUFとFUFは併存し、2つの国内リーグが存在した。

この記事では、ウルグアイサッカー連盟(FUF)の他、FUFが主催した1923年から1925年の国内リーグ、および、FUFの解散に伴って設置されたコンセホ・プロビソリオ(Consejo Provisorio、暫定理事会)が主催した1926年の国内リーグについても述べる。

概要

[編集]

アルゼンチンでは、1919年にアルゼンチンサッカー協会(Asociación Argentina de Football、AAF(現在のAFA))からアマチュアサッカー協会(Asociación Amateurs de Football、AAmF)が分離した。1921年のウルグアイ国内リーグを制したペニャロールは、AAF優勝クラブのウラカンではなく、AAmF優勝クラブのラシン・クラブコパ・アルダオを戦いたいと考えていたが、国際サッカー連盟(FIFA)から認可されていないAAmFとの試合は禁じられていた。

1922年11月12日、ペニャロールセントラル(現在のセントラル・エスパニョール)は、ウルグアイサッカー協会(AUF)の規約に反してラシン・クラブインデペンディエンテと試合を行った。ペニャロールとセントラルはその日のうちにAUFから除籍された。11月22日、ペニャロールとセントラルはウルグアイサッカー連盟(FUF)を設立。翌1923シーズンから、従来のAUF主催の国内リーグと並行して、FUF主催の独自の国内リーグを開催した。

その結果、1923年から1925年までの3シーズン、ウルグアイの国内リーグは、FIFAに認可されたAUF主催リーグと、AUFと対立するFUF主催リーグの2リーグに分裂する事態となった。事態の収拾のため、1925年にはウルグアイ政府が介入する騒ぎとなり、1925シーズンの国内リーグはAUF、FUFともにシーズン途中で打ち切られた。ホセ・セラート大統領の仲裁の下、AUFとFUFを再統合してコンセホ・プロビソリオ(Consejo Provisorio、暫定理事会)が設置された。1926シーズンはコンセホ・プロビソリオによって国内リーグが運営された。1925シーズン途中から中断されていたAUF主催の国内リーグは、FUFとの再統合を経て1927シーズンから再開された。AUFは現在でも、1923年から1925年まで存在したFUF主催の国内リーグと、1926年のコンセホ・プロビソリオ主催の国内リーグを公式記録として認めていない。

FUF主催リーグ

[編集]

FUF主催の国内リーグは、プリメーラ・ディビシオン(Primera División、1部)、ディビシオナル・インテルメディア(Divisional Intermedia、2部)、ディビシオナル・エクストラ(Divisional Extra、3部)で構成され、すべてのカテゴリーでAUF主催リーグと並行してリーグ運営した。FUFの解散後、一部のクラブはAUFに移籍したが、他の多くのクラブは姿を消した。

1923シーズン

[編集]

FUF主催リーグの最初のシーズン。32クラブが参加した。下位17クラブがシーズン終了後にセグンダ・ディビシオンに降格した。

アトレティコ・ワンダラーズ(Atlético Wanderers)が優勝した。モンテビデオ・ワンダラーズは、AUF主催リーグへの参加を継続しながら、FUF主催リーグにも別チームとして参加した。AUFにはモンテビデオ・ワンダラーズとして、FUFにはアトレティコ・ワンダラーズとして参加した。同様の形態をとったクラブは他にもいくつか存在する。

1924シーズン

[編集]

FUF主催リーグの2年目のシーズン。17クラブが参加して、ペニャロールが優勝した。翌1925シーズンが途中で打ち切られたため、事実上最後の大会となった。

1925シーズン

[編集]

ウルグアイサッカーの再統一を目指す交渉のため、AUF、FUFともに国内リーグがシーズン途中で打ち切られた。

歴代大会結果(プリメーラ・ディビシオン)

[編集]
シーズン 優勝 2位 3位 4位 クラブ数
1923 アトレティコ・ワンダラーズ ペニャロール リト・クアドラード セントラル 32
1924 ペニャロール アトレティコ・ワンダラーズ リト・クアドラード オリンピア 17
1925 シーズン途中で打ち切り

コンセホ・プロビソリオ主催リーグ

[編集]

1926シーズン

[編集]

コンセホ・プロビソリオ主催の国内リーグは、セリエA(1部)とセリエB(2部)に分かれて実施された。セリエAはペニャロールが、セリエBはベジャ・ビスタがそれぞれ優勝した。しかし、FUFによって主催された国内リーグ同様、この大会はAUFに公式記録として認められていない。

歴代大会結果(セリエA)

[編集]
シーズン 優勝 2位 3位 4位 クラブ数
1926 ペニャロール モンテビデオ・ワンダラーズ ランプラ・ジュニオルス ナシオナル・モンテビデオ 10