ウラジーミル・リヴォヴィチ
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ウラジーミル・リヴォヴィチ Владимир Львович | |
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ハールィチ・ヴォルィーニ大公 | |
在位 | 1323年 - 1325年? |
死去 |
1324年または1340年 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ガーリチ公レフ |
母親 | オリガ・ロマノヴナ |
ウラジーミル・リヴォヴィチ(ロシア語: Владимир Львович、生年不詳 - 1324年または1340年)は、ガーリチ公レフの子である。母はムスチスラヴリ公ロマンの娘オリガ[1]。ガーリチ・ヴォルィーニの統治期間は1323年から1325年、あるいはこの期間以内とみられている[2]。
ウラジーミルに関しては、ルーシのレートピシ(年代記)には言及がみられない[3]。また、ポーランドの史料によれば、ウラジーミルは名目上の統治者であり、実権はボヤーレ(貴族層)の長ドミトリー・デティコ(ru)が握っていたと記されている。とはいえ、リトアニアの年代記にも、ウラジーミルは、イルピン川の戦いにおいてゲディミナスと戦ったヴォルィーニ公として記されている[4]。
ウラジーミルの最後に関しては、リトアニアの年代記は、ウラジーミルはこの1324年のイルピン川の戦いで戦死したと記している。一方、『リトアニアジュマイディヤ年代記(ru)』では、1340年にウラジーミルは死亡し、それによってリュバルタスがヴォルィーニ、ルーツクの全域を手中に収めたと記されている。
いずれにせよ、ウラジーミルが、ガ-リチ・ヴォルィーニ公国を統治したリューリク朝の一系統であるロマン家(ru)の、男系の最後の末裔となった[5]。
出典
[編集]- ^ Владимир Львович // Славянская энциклопедия — Владимир Вольфович Богуславский
- ^ Широкорад А. Русь и Литва // Галицкое Королевство. — М.: Вече, 2004. — С. 50, 52, 56-60, 83, 370.
- ^ Владимир Львович // ブロックハウス・エフロン百科事典 : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ Летопись Археологического товарищества
- ^ Владимир Львович. Большой Русский Биографический Словарь