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ウズルグ・フラマーダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウズルグ・フラマーダール (LBʾ plmtʾr,[1]はサーサーン朝の官職で、後のイスラーム時代の大宰相に相当する[2]。ウズルグ・フラマダールという言葉は大司令官または大司令機関という意味を持つ。

ウズルグ・フラマダールの一覧

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名前 画像 在職期間 仕えた王 出身 備考/出典
アバルサーム英語版 アルダシール1世 [3][2]
ホスロー・ヤズデギルド英語版 ヤズデギルド1世 [2]
この時の役職名は「ハルマダーラー・ラッバー」[4]
ミフル・ナルセ英語版[2] ヤズデギルド1世バハラーム5世 スーレーン家英語版 このとき、ウズルグ・フラマダールの役職が創設されたとも[5]
スーレーン・パフラブ英語版[2] バハラーム5世 スーレーン家英語版 ミフル・ナルセと同一人物の可能性もある[5]
スフラー・カーレーン 484年~493年 バラーシュカワード1世 カーレーン家英語版
ボゾルグメフル英語版
(pal:ウズルグミフル・ボーフタラーン・カーレーン)
カワード1世ホスロー1世 カーレーン家 スフラーの息子
イザード・グシュナスプ英語版 ホスロー1世 ミフラーン家 弟のファリーブルズ英語版も大宰相についていた[6]
ヴィンドゥーヤ英語版 ホスロー2世 イスパフベダーン家
ペーローズ・ホスロー英語版
カワード2世アルダシール3世 [7]
マーフ・アードゥル・グシュナスプ英語版 アルダシール3世 イスパフベダーン家 [8]
ファッルフ・ホルミズド ボーラーン イスパフベダーン家 [9]、後にホルミズド5世として即位する

脚注

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  1. ^ Welcome to Encyclopaedia Iranica”. 2025年1月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e Chaumont, Marie-Louise (2000). "FRAMADĀR". In Yarshater, Ehsan (ed.). Encyclopædia Iranica, Volume X/2: Forūḡī–Fruit. London and New York: Routledge & Kegan Paul. pp. 125–126. ISBN 978-0-933273-41-2
  3. ^ E. Yarshater, “Abarsam,” Encyclopædia Iranica, I/1, pp. 67-68; available online at http://www.iranicaonline.org/articles/abarsam (accessed on 10 January 2014).
  4. ^ 青木 2020 p,194
  5. ^ a b 青木 2020 p,193
  6. ^ 青木 2020 p,251
  7. ^ 青木 2020 p,305
  8. ^ 青木 2020 p,306
  9. ^ 青木 2020 p,308

参考文献

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