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ウォルト・ハザード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォルト・ハザード
Walt Hazzard
故人
ポジション PG/SG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1942年4月15日
没年月日 (2011-11-18) 2011年11月18日(69歳没)
出身地 デラウェア州ウィルミントン
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 UCLA
ドラフト 1964年 地域指名
選手経歴
1964-1967
1967-1968
1968-1971
1971-1972
1972-1973
1973-1974
ロサンゼルス・レイカーズ
シアトル・スーパーソニックス
アトランタ・ホークス
バッファロー・ブレーブス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
シアトル・スーパーソニックス
指導者経歴
1984-1988 UCLA
受賞歴

選手時代

コーチ時代

  • Pac-10年間最優秀コーチ賞:1987
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1964
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1964 東京 バスケットボール

ウォルト・ハザード (Walt Hazzard, 1942年4月15日 - 2011年11月18日) は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。1964年東京オリンピック金メダリスト。イスラム教に改宗後はマフディー・アブドゥル=ラーマン (Mahdi Abdul-Rahman) に改名。デラウェア州ウィルミントン出身。UCLA時代は同校を初のNCAAトーナメント優勝に導き、その後はプロリーグNBA入り。現役引退後は母校に戻ってコーチを務めた。

経歴

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UCLA

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UCLAではジョン・ウッデン指揮の下、ゲイル・グッドリッチと共に強力なバックコートを形成しチームを牽引。1963-64シーズンには同校を無敗でNCAAトーナメント初優勝に導き、後に続く9回の優勝、七連覇とUCLAの黄金期への道を拓いた。個人としてはトーナメント最優秀選手、USBWA(全米バスケットボール記者協会)選出のカレッジ年間最優秀選手、オールアメリカンチームに選ばれ、背番号『42』はUCLAの永久欠番となった(後にケビン・ラブに42番の着用を許可する)。

1964年東京オリンピックではアメリカ代表に選ばれ、金メダルを獲得した。

NBAキャリア

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1964年のNBAドラフト地域指名(地元出身の選手を指名できる制度)を受けてロサンゼルス・レイカーズに入団。ハザードは10シーズンのキャリアで延べ6チームを渡り歩き、この間にムスリムとなった。キャリアハイは1シーズンのみ過ごしたシアトル・スーパーソニックス1967-68シーズンに記録した24.2得点4.2リバウンド6.2アシスト。このシーズンにはオールスターゲームにも出場を果たした。NBA通算成績は724試合の出場で、9,087得点3,555アシスト、平均12.6得点4.9アシストだった。

UCLAコーチ

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1984年から母校UCLAのヘッドコーチに就任(ウォルト・ハザードの名で活動した)。同じ年にUCLA体育殿堂入りした。4シーズン指揮し、125試合で77勝をあげ、1985年にはNIT優勝、1987年にはPac-10のレギュラーシーズン優勝とトーナメント優勝に導いている。

死去

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2011年11月18日、心臓疾患のためアメリカ合衆国カリフォルニア州カリフォルニア大学ロサンゼルス校内のロナルド・レーガンUCLAメディカルセンター英語版で死去[1]。69歳没。

脚注

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  1. ^ Walt Hazzard, Former Star and Coach for U.C.L.A., Dies at 69 ニューヨーク・タイムズ 2011年11月18日閲覧

外部リンク

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