ウェイン・エンブリー
トロント・ラプターズ | |
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ポジション | C |
役職 | スーパーアドバイザー |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1937年3月26日(87歳) |
出身地 | オハイオ州スプリングフィールド |
身長(現役時) | 203cm (6 ft 8 in) |
体重(現役時) | 109kg (240 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | マイアミ大学 |
ドラフト | 1958年 22位 |
選手経歴 | |
1958-1966 1966-1968 1968-1969 |
シンシナティ・ロイヤルズ ボストン・セルティックス ミルウォーキー・バックス |
受賞歴 | |
選手時代 エグゼクティブ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |
ウェイン・エンブリー (Wayne Embry, 1937年3月26日 - ) は、アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。オハイオ州スプリングフィールド出身。選手時代は主にシンシナティ・ロイヤルズでプレイし、ボストン・セルティックス時代には優勝を経験した。引退後は各チームのフロント職を歴任し長年に渡ってNBAに貢献。これらの活動が評価され、1999年には殿堂入りを果たした。
選手キャリア
[編集]ウェイン・エンブリーことウェイン・リチャード・エンブリーはマイアミ大学時代はチームキャプテン、スコアリングリーダーとして活躍し、2度オールアメリカに選ばれた。大学では経営管理学、科学で学位を取って卒業し、1958年のNBAドラフトでセントルイス・ホークスから全体22位指名を受けてNBA入りを果たす。
エンブリーはホークスではプレイせず、シンシナティ・ロイヤルズでルーキーイヤーを迎えた。ロイヤルズはエースのモーリス・ストークスが不慮の事故により突然の引退を余儀なくされ、多くの中心選手がチームを去ってしまったため、ホークスは無償で5人の選手をロイヤルズに譲渡し、その中にエンブリーが含まれていたのである。エンブリーは新エースのジャック・トゥィマンらと共に危機に瀕していたロイヤルズを支え、1年目は10.6得点9.5リバウンドを記録した。
エンブリーとロイヤルズに運気が向いてきたのは1960年のオスカー・ロバートソンの入団からである。このシーズンにエンブリーは14.4得点10.9リバウンドと初の平均ダブル・ダブルを達成し、オールスターにも選ばれた。ロバートソンはルーキーイヤーからリーグトップ選手として活躍し、チーム成績も向上し始め、このシーズンには4シーズンぶりのプレーオフに進出している。翌1961-62シーズンにはキャリアハイとなる19.8得点13.0リバウンドを記録し、1963-64シーズンにロイヤルズは当時のチーム記録となる55勝をあげるなど、エンブリーは選手キャリアの絶頂期を過ごした。しかし同じ年にジェリー・ルーカスが入団し、エンブリーがチーム内で担っていた役割は徐々にルーカスを始めとする若い選手に譲られるようになった。そして1965-66シーズンを最後に、8シーズン過ごしたロイヤルズからボストン・セルティックスに移籍することになった。
リーグトップクラスの強豪のセルティックスではエンブリーの出場機会は限られ、成績は大幅に後退したが、セルティックス2年目の1967-68シーズンには優勝を経験している。ラストシーズンはミルウォーキー・バックスで過ごし、1969年に現役から引退した。
エグゼクティブキャリア
[編集]エンブリーのNBAにおけるエグゼクティブキャリアは30年近くに渡る。1972年には現役最後のシーズンを過ごしたバックスで、黒人としてはNBA初のゼネラル・マネージャーに就任した。バックスのフロント入りする前には、1970年に元チームメイトのオスカー・ロバートソンを説得し、バックスに移籍させることに成功しており、このシーズンバックスは創部3年目というNBA最短記録で初優勝を果たした。エンブリーはバックスのGMを8年間務め、その間のバックスは59勝以上は2回、プレーオフ進出は4回、NBAファイナル進出1回だった。
1985年から1992年まではクリーブランド・キャバリアーズの球団副社長兼GMに就任し、1994年にはNBA初の黒人球団社長となった。彼の経営の下、キャバリアーズは90年代のイーストを代表する強豪チームに育ち、マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズと数々の名勝負を繰り広げた。エンブリーは1992年と1998年にNBA最優秀役員賞に選ばれている。
業績
[編集]- NBAファイナル制覇 1968年
- オールスター 1961年-1965年
- クリーブランドスポーツ殿堂
- オハイオ州クラーク群殿堂
- バスケットボール殿堂
個人成績
[編集]† | NBAチャンピオン |
太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
[編集]Season | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
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1958–59 | CIN | 66 | 24.1 | .387 | .656 | 9.0 | 1.5 | 11.4 |
1959–60 | 73 | 21.8 | .439 | .514 | 9.5 | 1.1 | 10.6 | |
1960–61 | 79 | 28.3 | .451 | .668 | 10.9 | 1.6 | 14.4 | |
1961–62 | 75 | 35.0 | .466 | .690 | 13.0 | 2.4 | 19.8 | |
1962–63 | 76 | 33.0 | .458 | .667 | 12.3 | 2.3 | 18.6 | |
1963–64 | 80 | 36.4 | .458 | .650 | 11.6 | 1.4 | 17.3 | |
1964–65 | 74 | 30.3 | .456 | .644 | 10.0 | 1.2 | 12.7 | |
1965–66 | 80 | 23.5 | .411 | .603 | 6.6 | 1.0 | 7.6 | |
1966–67 | BOS | 72 | 10.1 | .409 | .569 | 4.1 | .6 | 5.2 |
1967–68† | 78 | 13.9 | .400 | .589 | 4.1 | .7 | 6.3 | |
1968–69 | MIL | 78 | 30.2 | .427 | .664 | 8.6 | 1.9 | 13.1 |
Career | 831 | 26.2 | .440 | .640 | 9.1 | 1.4 | 12.5 | |
All-Star | 4 | 16.0 | .441 | 1.000 | 4.5 | .5 | 8.0 |
プレーオフ
[編集]Year | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
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1962 | CIN | 4 | 32.0 | .467 | .778 | 11.3 | 2.0 | 14.0 |
1963 | 12 | 32.8 | .450 | .662 | 13.5 | 1.3 | 16.8 | |
1964 | 10 | 36.3 | .381 | .622 | 12.4 | 2.1 | 13.4 | |
1965 | 4 | 30.8 | .438 | .818 | 6.3 | 2.0 | 12.8 | |
1966 | 5 | 27.8 | .421 | .583 | 6.8 | .4 | 7.8 | |
1967 | BOS | 5 | 7.6 | .387 | .500 | 2.6 | .6 | 5.2 |
1968† | 16 | 10.1 | .390 | .448 | 2.8 | .4 | 3.7 | |
Career | 56 | 24.1 | .418 | .645 | 8.0 | 1.1 | 10.1 |