ウィーン国際音楽演劇博覧会
ウィーン国際音楽演劇博覧会(ウィーンこくさいおんがくえんげきはくらんかい、ドイツ語: Wiener Musik-und Theaterausstellung)は、1892年にプラーター公園において催された音楽と演劇の博覧会。
概要
[編集]1891年、「モーツァルト没後100年記念祭」が催された。これに触発されたメッテルニヒ侯爵夫人パウリーネにより、彼女を中心とする急ごしらえの博覧委員会が組織された[1]。
開催期間は1892年5月7日から10月9日まで。期間中には多数の演奏会や劇の上演が行われたが、特筆すべきは音楽家の所持品や肖像画、楽譜なども展示されたことである[1]。1873年のウィーン万博以後、ウィーンでは多くの博覧会が催されてきたが、こうした試みはそれまでにないものであった[1]。「音楽の博覧会」という理念のもとで、音楽を「物」として扱う考えが生まれた[2]。博覧会にあわせて販売されたピアノ曲集の楽譜は、演奏のためという本来の役目を離れて、土産物としての性格も帯びたという[2]。
展示品のほとんどがドイツかオーストリア関連のものだった。最終的には多額の赤字を出して終わった。
関連音楽作品
[編集]メッテルニヒ侯爵夫人はヨハン・シュトラウス2世に開幕式のための新作ワルツを依頼した。博覧会にふさわしい友愛的精神を示した題名のワルツ『もろびと手をとり』である。さらに侯爵夫人はシュトラウス2世に対し『ドナウの水の精』と題した博覧会の呼び物としてのバレエを書かせようとしたが、こちらは拒絶され、代わりにヨーゼフ・バイヤーによってシュトラウス2世の音楽を引用したバレエが生み出された。
また、委員会は祝祭のためのカンタータをブラームス(彼も博覧会の準備に携わった)に依頼したが、ブラームスはこれを断り、代わってブルックナーが『詩篇第150番』を作曲した[3](テキストを提案したのはリヒャルト・ホイベルガー[3])。
出典
[編集]参考文献
[編集]- リヒャルト・ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー等 著、天崎浩二、関根裕子 訳『ブラームス回想録集2 ブラームスは語る』音楽之友社、2004年6月10日。ISBN 978-4-276-20178-1。
- 根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』音楽之友社、2006年6月10日。ISBN 4-276-22183-8。
- 若宮由美「ヨーゼフ・バイヤー作曲のバレエ《ドナウの水の精》--ヨハン・シュトラウスとの関連」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第10号、埼玉学園大学、2010年12月、231-243頁、ISSN 13470515、NAID 110008451475。
- 若宮由美「博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892)」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第13号、埼玉学園大学、2013年12月、167-179頁、ISSN 1347-0515、NAID 120005772404。