ウィンストン・アブレイユ
タンパベイ・レイズ時代 (2010年2月21日) | |
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サンチェス・ラミレス州コツイ |
生年月日 | 1977年4月5日(47歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 170 lb =約77.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1993年 アマチュアFA |
初出場 |
MLB / 2006年8月6日 NPB / 2008年3月24日 |
最終出場 |
MLB / 2009年7月25日 NPB / 2008年5月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ウィンストン・レオナルド・アブレイユ・ソレール(Winston Leonardo Abreu Soler, 1977年4月5日 - )は、ドミニカ共和国サンチェス・ラミレス州コツイ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入りとマイナーリーグ時代
[編集]1993年7月2日、当時16歳でアトランタ・ブレーブスと契約。
1994年からはマイナーリーグで主に先発投手として試合に出場し、1996年までの3年間で38試合に登板するも、1997年は右肘靭帯のトミー・ジョン手術を受けたため、全休した[1]。
1998年に復帰し、1999年はA級とA+級合計で10勝をマーク[1]。2000年は初めてAA級やAAA級に昇格したものの、シーズンの大半はA級でのプレーであった。またこの頃からリリーフとしての登板が中心になった。
2001年は、傘下AA級グリーンビル・ブレーブスで34試合に登板して、9月までに3勝5敗、防御率4.64という結果に終わった[1]。9月6日にルディ・シアネスとのトレードでサンディエゴ・パドレスへと移籍[2]。パドレス傘下での登板機会はなかった。
2002年3月19日にトレードでシカゴ・カブスへと移籍した[2]。傘下AA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスで11試合に登板して、1勝0敗、防御率7.20の成績に終わり、4月30日に自由契約となった[2]。5月9日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。傘下AA級ウィチタ・ラングラーズで23試合に登板して、3勝0敗2セーブ、防御率3.32の成績を残した[2]。オフの10月15日にFAとなった[2]。11月22日にニューヨーク・ヤンキースと契約した。
2003年は、ヤンキースのスプリングトレーニングに参加したが、3月21日に自由契約となり[2]、この年はいずれの球団にも所属せず浪人することになった[2]。
2004年は、1月12日にロサンゼルス・ドジャースと契約して球界復帰を果たしたが[2]、6月10日に自由契約となった。6月14日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。この年は両球団のAAA級を中心に45試合に登板し、3勝3敗3セーブ、防御率6.31の成績を残した[2]。
2005年は、AAA級ツーソン・サイドワインダーズで開幕を迎え、27試合に登板して、2勝3敗2セーブ、6.48の成績を残した[2]。6月12日にメキシカンリーグのオアハカ・ウォーリアーズにレンタル移籍し、ストッパーとして18試合に登板、4勝0敗10セーブ、防御率1.35という好成績を残した[2]。
オリオールズ時代
[編集]2005年12月20日にボルチモア・オリオールズと契約[2]。
2006年は、AAA級オタワ・リンクスで自己最高の数字を残し、8月1日に遂にメジャー初昇格を果たした。そして8月6日のニューヨーク・ヤンキース戦の9回にメジャー初登板。この時点で29歳、マイナーでの通算登板数は294試合にも上っていた[1]。初めての対戦打者はアレックス・ロドリゲスで、見逃し三振に打ち取った[3]。この年は最初の4試合で6.1回を無失点に抑えるなど力投していたが、その後の3登板で10失点(自責点9)を喫するなど、シーズンでは防御率10.13に終わった。オフの10月16日にFAとなった[2]。
ナショナルズ時代
[編集]2007年3月8日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[4][2]。5月8日にメジャーでのシーズン初登板し、最初の11試合に投げた時点では防御率2.31を記録していたが、5月の終盤から6月にかけて調子を崩し、マイナーへと降格。その後、ロースターの拡大に伴って9月にメジャーに復帰し、7試合に登板。シーズンでは前年を大幅に上回る26試合に登板した。また、この年はAAA級でも37試合で防御率1.20、WHIP0.84と好投した[1]。オフの10月11日にFAとなった[2]。
ロッテ時代
[編集]2007年12月23日に千葉ロッテマリーンズと年俸4600万円(推定)の1年契約を結んだ。
2008年はシーズン序盤こそ一軍に定着し中継ぎである程度活躍したものの、5月に右肘痛により戦線離脱。6月6日に右肘の骨片除去手術を受けると[1]、それ以降は一軍、二軍ともにマウンドにあがることができず、不本意な結果となってしまった。その後、12月2日に自由契約公示された。なお、千葉マリンスタジアムでの登板時テーマ曲はジェロの「海雪」であった。
ロッテ退団後
[編集]2009年2月6日、タンパベイ・レイズにマイナー契約で入団し、6月14日のコロラド・ロッキーズ戦でおよそ2年ぶりにメジャーのマウンドに立つが、レイズでは2試合に投げただけで6月27日にDFAとなり、7月2日にクリーブランド・インディアンスに移籍した[1]。ところがインディアンスでも3試合に投げただけで8月1日にDFAとなり、その5日後の8月6日(前の契約から半年後)にレイズと契約[1]。短期間で古巣に復帰することになった。結局その後メジャーで投げる機会はなく、シーズンでは5試合登板に終わったが、AAA級ダーラム・ブルズでは、37試合に登板して3勝1敗15セーブ、防御率1.94、WHIP0.77と安定した働きを見せていたこともあり、シーズン終了後にレイズと契約を延長した。
2010年はAAA級ダーラムで51試合に登板して0勝4敗23セーブ、防御率2.28、WHIP1.01を記録して、2年続けて結果を残したものの、メジャーでの登板機会には恵まれず、オフの11月6日にFAとなった[1]。
2010年11月29日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2011年のブルージェイズのスプリング・トレーニングに参加することになった[1]。開幕はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで迎え、この年のメジャー昇格はなかった。
2012年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。ストッパーとして45試合に登板し、4勝1敗15セーブ、防御率3.83を記録した[2]。
2013年、メキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズとベラクルス・レッドイーグルスでプレーしていたが、5月7日にアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した[5]。ブリッジポートでは54試合に登板して、2勝0敗12セーブ、防御率1.47の好成績を記録[2]。
2014年もブリッジポート・ブルーフィッシュでプレー。54試合に登板して、3勝7敗17セーブ、防御率4.85という成績だった。
2015年はアメリカン・アソシエーションのジョプリン・ブラスターズと契約。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。
2016年もジョプリン・ブラスターズでプレーしていたが、6月24日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。8月20日にアメリカン・アソシエーションのウィニペグ・ゴールドアイズと契約。
2017年4月20日にアメリカン・アソシエーションのクリバーン・レイルローダーズと契約。10月30日に自由契約となった。
2019年1月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[6]。登板機会なく、オフの11月4日にFAとなった[1]。
2020年1月10日にロイヤルズとマイナー契約で再契約したが[1]、新型コロナウイルス感染症の影響でマイナーリーグが開催中止となったため、プレーすることなく11月2日に自由契約となった[1]。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
[編集]2021年より、独立リーグ・パイオニアリーグのビリングス・マスタングスの投手コーチに就任した[7]。
その他
[編集]最速150km/hオーバーのストレートが最大の武器で投球の大半を占める。変化球は、スライダー・チェンジアップを投げる[要出典]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | BAL | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 42 | 8.0 | 10 | 1 | 6 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 10 | 9 | 10.13 | 2.00 |
2007 | WSH | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | .000 | 133 | 30.1 | 37 | 7 | 9 | 1 | 0 | 26 | 2 | 1 | 21 | 20 | 5.93 | 1.52 |
2008 | ロッテ | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 6 | .333 | 94 | 21.2 | 23 | 2 | 8 | 0 | 0 | 24 | 0 | 0 | 9 | 8 | 3.32 | 1.43 |
2009 | TB | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 15 | 3.2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.45 | 1.36 |
CLE | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 17 | 2.1 | 7 | 2 | 2 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 7 | 6 | 23.14 | 3.86 | |
'09計 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 32 | 6.0 | 10 | 2 | 4 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 8 | 7 | 10.50 | 2.33 | |
MLB:3年 | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | .000 | 207 | 44.1 | 57 | 10 | 19 | 2 | 2 | 38 | 2 | 1 | 39 | 36 | 7.31 | 1.71 | |
NPB:1年 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 6 | .333 | 94 | 21.2 | 23 | 2 | 8 | 0 | 0 | 24 | 0 | 0 | 9 | 8 | 3.32 | 1.43 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2006 | BAL | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2007 | WSH | 26 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2008 | ロッテ | 20 | 2 | 6 | 0 | 1 | 1.000 |
2009 | TB | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
CLE | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
'09計 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
MLB | 38 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
NPB | 20 | 2 | 6 | 0 | 1 | 1.000 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板:2008年3月24日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、10回裏に4番手で救援登板、1回1失点(自責点0)
- 初奪三振:同上、10回裏にマイケル・レストビッチから空振り三振
- 初ホールド:2008年3月26日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利:2008年3月29日、対オリックス・バファローズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表に2番手で救援登板、1回0/3を無失点
背番号
[編集]- 40 (2006年)
- 63 (2007年)
- 43 (2008年)
- 49 (2009年)
- 59 (2009年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n MLB公式プロフィール参照。2022年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Winston Abreu Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年2月12日閲覧。
- ^ “New York Yankees at Baltimore Orioles Box Score, August 6, 2006”. Baseball-Reference.com. 2022年2月12日閲覧。
- ^ 『月刊スラッガー』2007年2月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、74頁。
- ^ 'FISH ADD FORMER BIG LEAGUE ARM bridgeportbluefish.com 2013年5月7日配信
- ^ Eddy, Matt (January 23, 2018). “Minor League Transactions: Jan 11 - Jan 17”. Baseball America. January 23, 2018閲覧。
- ^ Scott Breen (2021年5月12日). “Former Billings Mustangs players to join coaching staff”. Montana Sports.com. 2022年2月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ウィンストン・アブレイユ - NPB.jp 日本野球機構
- ドミニカ共和国の野球選手
- アトランタ・ブレーブス傘下の選手
- サンディエゴ・パドレス傘下の選手
- シカゴ・カブス傘下の選手
- カンザスシティ・ロイヤルズ傘下の選手
- ニューヨーク・ヤンキース傘下の選手
- ロサンゼルス・ドジャース傘下の選手
- アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下の選手
- ボルチモア・オリオールズの選手
- ワシントン・ナショナルズの選手
- 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
- タンパベイ・レイズの選手
- クリーブランド・インディアンスの選手
- トロント・ブルージェイズ傘下の選手
- メキシコシティ・レッドデビルズの選手
- ブリッジポート・ブルーフィッシュの選手
- カリビアンシリーズ選手
- サンチェス・ラミレス州出身の人物
- 1977年生
- 存命人物