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ウィンストン・アブレイユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィンストン・アブレイユ
Winston Abreu
タンパベイ・レイズ時代
(2010年2月21日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サンチェス・ラミレス州コツイ英語版
生年月日 (1977-04-05) 1977年4月5日(47歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2006年8月6日
NPB / 2008年3月24日
最終出場 MLB / 2009年7月25日
NPB / 2008年5月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィンストン・レオナルド・アブレイユ・ソレールWinston Leonardo Abreu Soler, 1977年4月5日 - )は、ドミニカ共和国サンチェス・ラミレス州コツイ英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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プロ入りとマイナーリーグ時代

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1993年7月2日、当時16歳でアトランタ・ブレーブスと契約。

1994年からはマイナーリーグで主に先発投手として試合に出場し、1996年までの3年間で38試合に登板するも、1997年は右肘靭帯のトミー・ジョン手術を受けたため、全休した[1]

1998年に復帰し、1999年はA級とA+級合計で10勝をマーク[1]2000年は初めてAA級やAAA級に昇格したものの、シーズンの大半はA級でのプレーであった。またこの頃からリリーフとしての登板が中心になった。

2001年は、傘下AA級グリーンビル・ブレーブス英語版で34試合に登板して、9月までに3勝5敗、防御率4.64という結果に終わった[1]。9月6日にルディ・シアネスとのトレードでサンディエゴ・パドレスへと移籍[2]。パドレス傘下での登板機会はなかった。

2002年3月19日にトレードでシカゴ・カブスへと移籍した[2]。傘下AA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスで11試合に登板して、1勝0敗、防御率7.20の成績に終わり、4月30日に自由契約となった[2]。5月9日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。傘下AA級ウィチタ・ラングラーズ英語版で23試合に登板して、3勝0敗2セーブ、防御率3.32の成績を残した[2]。オフの10月15日にFAとなった[2]。11月22日にニューヨーク・ヤンキースと契約した。

2003年は、ヤンキースのスプリングトレーニングに参加したが、3月21日に自由契約となり[2]、この年はいずれの球団にも所属せず浪人することになった[2]

2004年は、1月12日にロサンゼルス・ドジャースと契約して球界復帰を果たしたが[2]、6月10日に自由契約となった。6月14日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。この年は両球団のAAA級を中心に45試合に登板し、3勝3敗3セーブ、防御率6.31の成績を残した[2]

2005年は、AAA級ツーソン・サイドワインダーズで開幕を迎え、27試合に登板して、2勝3敗2セーブ、6.48の成績を残した[2]。6月12日にメキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズにレンタル移籍し、ストッパーとして18試合に登板、4勝0敗10セーブ、防御率1.35という好成績を残した[2]

オリオールズ時代

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2005年12月20日にボルチモア・オリオールズと契約[2]

2006年は、AAA級オタワ・リンクスで自己最高の数字を残し、8月1日に遂にメジャー初昇格を果たした。そして8月6日のニューヨーク・ヤンキース戦の9回にメジャー初登板。この時点で29歳、マイナーでの通算登板数は294試合にも上っていた[1]。初めての対戦打者はアレックス・ロドリゲスで、見逃し三振に打ち取った[3]。この年は最初の4試合で6.1回を無失点に抑えるなど力投していたが、その後の3登板で10失点(自責点9)を喫するなど、シーズンでは防御率10.13に終わった。オフの10月16日にFAとなった[2]

ナショナルズ時代

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2007年3月8日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[4][2]。5月8日にメジャーでのシーズン初登板し、最初の11試合に投げた時点では防御率2.31を記録していたが、5月の終盤から6月にかけて調子を崩し、マイナーへと降格。その後、ロースターの拡大に伴って9月にメジャーに復帰し、7試合に登板。シーズンでは前年を大幅に上回る26試合に登板した。また、この年はAAA級でも37試合で防御率1.20、WHIP0.84と好投した[1]。オフの10月11日にFAとなった[2]

ロッテ時代

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2007年12月23日に千葉ロッテマリーンズと年俸4600万円(推定)の1年契約を結んだ。

2008年はシーズン序盤こそ一軍に定着し中継ぎである程度活躍したものの、5月に右肘痛により戦線離脱。6月6日に右肘の骨片除去手術を受けると[1]、それ以降は一軍、二軍ともにマウンドにあがることができず、不本意な結果となってしまった。その後、12月2日に自由契約公示された。なお、千葉マリンスタジアムでの登板時テーマ曲はジェロの「海雪」であった。

ロッテ退団後

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2009年2月6日、タンパベイ・レイズにマイナー契約で入団し、6月14日のコロラド・ロッキーズ戦でおよそ2年ぶりにメジャーのマウンドに立つが、レイズでは2試合に投げただけで6月27日にDFAとなり、7月2日にクリーブランド・インディアンスに移籍した[1]。ところがインディアンスでも3試合に投げただけで8月1日にDFAとなり、その5日後の8月6日(前の契約から半年後)にレイズと契約[1]。短期間で古巣に復帰することになった。結局その後メジャーで投げる機会はなく、シーズンでは5試合登板に終わったが、AAA級ダーラム・ブルズでは、37試合に登板して3勝1敗15セーブ、防御率1.94、WHIP0.77と安定した働きを見せていたこともあり、シーズン終了後にレイズと契約を延長した。

2010年はAAA級ダーラムで51試合に登板して0勝4敗23セーブ、防御率2.28、WHIP1.01を記録して、2年続けて結果を残したものの、メジャーでの登板機会には恵まれず、オフの11月6日にFAとなった[1]

2010年11月29日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2011年のブルージェイズのスプリング・トレーニングに参加することになった[1]。開幕はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで迎え、この年のメジャー昇格はなかった。

2012年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。ストッパーとして45試合に登板し、4勝1敗15セーブ、防御率3.83を記録した[2]

2013年、メキシカンリーグのシウダーデルカルメン・ドルフィンズベラクルス・レッドイーグルスでプレーしていたが、5月7日にアトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した[5]。ブリッジポートでは54試合に登板して、2勝0敗12セーブ、防御率1.47の好成績を記録[2]

2014年もブリッジポート・ブルーフィッシュでプレー。54試合に登板して、3勝7敗17セーブ、防御率4.85という成績だった。

2015年アメリカン・アソシエーションジョプリン・ブラスターズ英語版と契約。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。

2016年もジョプリン・ブラスターズでプレーしていたが、6月24日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。8月20日にアメリカン・アソシエーションのウィニペグ・ゴールドアイズと契約。

2017年4月20日にアメリカン・アソシエーションのクリバーン・レイルローダーズ英語版と契約。10月30日に自由契約となった。

2019年1月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[6]。登板機会なく、オフの11月4日にFAとなった[1]

2020年1月10日にロイヤルズとマイナー契約で再契約したが[1]新型コロナウイルス感染症の影響でマイナーリーグが開催中止となったため、プレーすることなく11月2日に自由契約となった[1]。この年限りで現役を引退した。

現役引退後

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2021年より、独立リーグ・パイオニアリーグビリングス・マスタングス英語版の投手コーチに就任した[7]

その他

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最速150km/hオーバーのストレートが最大の武器で投球の大半を占める。変化球は、スライダーチェンジアップを投げる[要出典]

高校時代にはボクシングの経験もある[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2006 BAL 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 8.0 10 1 6 1 1 6 0 0 10 9 10.13 2.00
2007 WSH 26 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 133 30.1 37 7 9 1 0 26 2 1 21 20 5.93 1.52
2008 ロッテ 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43
2009 TB 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.2 3 0 2 0 0 3 0 0 1 1 2.45 1.36
CLE 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 2.1 7 2 2 0 1 3 0 0 7 6 23.14 3.86
'09計 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 6.0 10 2 4 0 1 6 0 0 8 7 10.50 2.33
MLB:3年 38 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 207 44.1 57 10 19 2 2 38 2 1 39 36 7.31 1.71
NPB:1年 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43

年度別守備成績

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投手(P)












2006 BAL 7 1 0 0 0 1.000
2007 WSH 26 2 1 0 0 1.000
2008 ロッテ 20 2 6 0 1 1.000
2009 TB 2 0 0 0 0 ----
CLE 3 0 1 0 0 1.000
'09計 5 0 1 0 0 1.000
MLB 38 3 2 0 0 1.000
NPB 20 2 6 0 1 1.000

記録

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NPB

背番号

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  • 40 (2006年)
  • 63 (2007年)
  • 43 (2008年)
  • 49 (2009年)
  • 59 (2009年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n MLB公式プロフィール参照。2022年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Winston Abreu Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年2月12日閲覧。
  3. ^ New York Yankees at Baltimore Orioles Box Score, August 6, 2006”. Baseball-Reference.com. 2022年2月12日閲覧。
  4. ^ 月刊スラッガー』2007年2月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、74頁。
  5. ^ 'FISH ADD FORMER BIG LEAGUE ARM bridgeportbluefish.com 2013年5月7日配信
  6. ^ Eddy, Matt (January 23, 2018). “Minor League Transactions: Jan 11 - Jan 17”. Baseball America. January 23, 2018閲覧。
  7. ^ Scott Breen (2021年5月12日). “Former Billings Mustangs players to join coaching staff”. Montana Sports.com. 2022年2月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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