コンテンツにスキップ

ウィンガー (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィンガー
Winger
フィンランド・ヘルシンキ公演 (2006年10月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
グラムメタル
活動期間 1987年 - 1994年
2001年 - 現在
レーベル アトランティック・レコード
フロンティアーズ・レコード
公式サイト wingertheband.com
メンバー キップ・ウィンガー (Vo/B)
レブ・ビーチ (G)
ジョン・ロス (G)
ロッド・モーゲンスタイン (Ds)
ポール・テイラー (G/Key)
旧メンバー センク・エログル (G/Key)

ウィンガーWinger)は、アメリカ合衆国ロックバンド

アメリカ出身のロック・ミュージシャン、キップ・ウィンガーが主宰するグループとして知られる。デビュー当初からアルバムが百万枚以上のセールスを記録するなど、1980年代末に隆盛を極めた。実働7年余りで解散したが2000年代に復活し、以降断続的に活動を続けている。

概要・略歴

[編集]

隆盛から解散まで (1987年 - 1994年)

[編集]

1987年、元「アリス・クーパー・バンド」のキップ・ウィンガー(ボーカル、ベース)とポール・テイラー(キーボード)によって結成され、さらにレブ・ビーチ(ギター)と、「ディキシー・ドレッグス」の活動で知られるベテラン、ロッド・モーゲンスタイン(ドラム)が加入してオリジナルのラインナップが固まった。当初のバンド名は「Sahara」が候補に挙がっていたが、すでに他のバンドに使用されていたため、キップ・ウィンガーの姓である「Winger」を採用した。なお「Sahara」の文字は、デビュー・アルバムのジャケット右下に見ることができる。

セルフタイトルのファースト・アルバム『ウィンガー』は、1988年8月にメジャー・レーベル「アトランティック・レコード」からリリースされた。作品は米国でプラチナ・ディスクを、日本とカナダでゴールド・ディスクを獲得し、デビュー早々に大きな成功を掴んだ。その後もバンドは「アメリカン・ミュージック・アワード」の「Best New Heavy Metal Band」にノミネートされるなど、評価を上げていく。

1990年、セカンド・アルバム『イン・ザ・ハート・オブ・ザ・ヤング』をリリース。2作連続して米国でプラチナ・ディスク、日本でゴールド・ディスクを獲得。全米アルバムチャートも15位にランクインした。

バンドはこのアルバムを引っさげて「スコーピオンズ」「キッス」「エクストリーム」「ZZトップ」「スローター」らとともに13ヶ月に及ぶ長期ツアーを敢行。しかしこれでポール・テイラーは疲弊し、バンドを離れる事になった。この時期にアメリカのヘヴィメタル・ハードロックシーンは急激に斜陽化を迎え、ウィンガーの音楽性は陳腐化され、嘲笑の対象にすらなってしまう。1992年に公開されたメタリカのドキュメンタリービデオの中で、ラーズ・ウルリッヒらがウィンガーをこき下ろす言動をし、さらにはキップのポスターを的にして「Kip Die!!」などとラーズらが叫びながらダーツをしているシーンなどが公開され、メタリカのファンから格好のバッシング、嫌がらせなどの標的にされてしまう。キップ自身やレブも、このメタリカからの揶揄、バッシングでモチベーションを大きく削がれ、解散の一因になったことを公言している。当時のスラッシュメタル、グルーヴメタル等を賛美していたMTVのアニメ作品、「ビーバス・アンド・バットヘッド」の劇中でも、「北米で一番SUCKS(ダサい)なバンド」と扱われ、主人公達がウィンガーのTシャツを着ている子供を虐めても、何の咎めも受けず正当化されるシーンなどが描写されるなど、バンドのマイナスイメージが独り歩きすることとなった。

次作のサード・アルバム『プル』は1992年から1993年にかけ、残る3人で録音が行われた。タイトルは当初、アルバムの1曲目である「Blind Revolution Mad」が使用される予定だったが、諸事情から「Pull」に変更された。このアルバムはマイク・シプリーのプロデュースの元で制作され、当時流行していたグルーヴ・メタルなどの要素も取り入れた。しかし結果は芳しくなく、成功には至らなかった。『プル』ツアーの後にバンドは解散。キップ・ウィンガーはソロ活動に専念し、他のメンバーもそれぞれのプロジェクトに移った。

再結成以降 (2001年 - 現在)

[編集]

2001年、バンド再評価の機運に応え、オリジナル・ラインナップで再結成を果たす。前活動末期にライブをサポートしたジョン・ロスも正規に加入し、新たに5人編成を組んだ。同年、新曲「On the Inside」収録のコンピレーション『ヴェリー・ベスト・オブ・ウィンガー』をリリース。翌年には北米ツアーを行い、2003年までの短期の間だけ活動した。

2006年5月に再び始動し、ニュー・アルバムのレコーディングに入る。しかしポール・テイラーは参加せず、代わりにセンク・エログル(ギター、キーボード)を加えた編成で活動。約13年ぶりの4thアルバム『IV』をリリースする。

アメリカ・サンタクララ公演 (2007年3月)

2007年、バンド発足からのデモ・テイクを、1年以上の歳月をかけてリミックスした2枚組コンピレーション・アルバム『デモ・アンソロジー』を発表。同年、来日公演を開催する。2007年度ライブツアーの模様は、ライブ作品『ライヴ』としてリリースした。

2009年、センク・エログルが脱退。残る4人編成で5thアルバム『カーマ』を制作し10月にリリース。その後メンバー各々は掛け持ちの仕事で多忙になり、活動休止を余儀なくされる。

2013年、ポール・テイラーが復帰して、10年ぶりにオリジナル・ラインナップが出揃い活動を再開。同年8月、ファースト・アルバム『ウィンガー』の発売25周年を記念し、同アルバムの完全再現ライブを実施した[1]

2014年初頭、ロックバンド「Y&T」のデビュー40周年記念も兼ねた、日本のロック・イベントで来日公演[2]。春には、センク・エログルも制作に協力した6thアルバム『ベター・デイズ・カミン』を発表する[3]。秋も日本のロックイベントに招聘され、年内2度目の来日公演を開催[4]。セカンド・アルバム『イン・ザ・ハート・オブ・ザ・ヤング』の発売25周年を記念し、全曲再現ライブを披露した[5]

2017年に結成30周年を迎え、秋にHR/HMフェス『LOUD PARK 17』参加のため来日する[6]

2023年5月5日、9年ぶりとなるアルバム『セヴン (Seven)』を発表。アルバムのプロデュースはキップ・ウィンガーが務めており、アメリカのナッシュビルでレコーディングされた[7]

メンバー

[編集]

※2019年9月時点

現ラインナップ

[編集]

旧メンバー

[編集]
  • センク・エログル (Cenk Eroglu) - リズムギター、キーボード (2006年-2009年 セッション ; 2014年、2023年)

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]

ライブ・アルバム

[編集]

コンピレーション・アルバム

[編集]

シングル

[編集]

その他

[編集]

映像作品

[編集]
  • 『ウィンガー』 - The Videos Vol. 1 (1989年)
  • 『イン・ザ・ハート・オブ・ザ・ヤング』 - In the Heart of the Young, Vol. 1 (1990年)
  • 『イン・ザ・ハート・オブ・ザ・ヤング PART II』 - In the Heart of the Young, Vol. 2 (1991年)
  • 『ライヴ・イン・トーキョー』 - Live in Tokyo (1991年)
  • The Making of Pull (1993年)
  • The Making of Winger IV (2007年)
  • Winger Live (2007年)

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]