ウィリー・スローワー
Willis Thrower | |||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||
ポジション | クォーターバック | ||||||||||||
生年月日 | 1930年3月22日 | ||||||||||||
没年月日 | 2002年2月20日(71歳没) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ニューケンジントン | ||||||||||||
身長: | 5' 11" =約180.3cm | ||||||||||||
体重: | 182 lb =約82.6kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | ミシガン州立大学 | ||||||||||||
ドラフト外 | 1953年 | ||||||||||||
初出場年 | 1953年 | ||||||||||||
初出場チーム | シカゴ・ベアーズ | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
ウィリー・スローワー(Willie Thrower 1930年3月22日-2002年2月20日)はペンシルベニア州ピッツバーグ郊外のニューケンジントン出身のアメリカンフットボール選手。彼は近代フットボール(第二次世界大戦後)に最初に登場したアフリカ系アメリカ人のプロフットボール選手。1953年にNFLのシカゴ・ベアーズでQBとしてプレーした。
彼はビッグテン・カンファレンス最初のアフリカ系アメリカ人QBであり、ミシガン州立大学時代、1952年に全米チャンピオンになった[1][2]。そしてシカゴ・ベアーズにドラフト外で入団し8500ドルで契約した[1]。1953年10月18日にソルジャー・フィールドで行われた試合でジョージ・ブランダのリリーフとして出場を果たした[1][2]。これは第二次世界大戦後初のアフリカ系アメリカ人QBの出場であった。彼は8回パスを投げて3回成功、27ヤードの獲得、インターセプト1回を喫し試合は28-35でベアーズが敗れた[1][2]。
彼が試合に出たのはこの1試合だけでシーズン終了と共に契約は打ち切られ[2]、その後15年間プロフットボールに出場するアフリカ系アメリカ人QBは現れず、1968年になって当時AFL所属だったデンバー・ブロンコスでマーリン・ブリスコーが出場を果たした[1][2]。
彼はその後CFLのウィニペグ・ブルーボマーズやトロント、オンタリオ州のセミプロチームでプレーし[1]、肩の負傷によって27歳の時にフットボール選手としてのキャリアを終えた[2]。引退後はニューヨークでソーシャルワーカーとなり1960年代後半には子供たちのためのカウンセラーを行っている。
ABCによる彼の特集番組が放送されるまで彼の隣人たちはスローワーがNFL初のアフリカ系アメリカ人QBだという話を誰も信じていなかった[1][2]。
2002年2月20日、心臓発作のため71歳で亡くなった[1]。2006年に彼の功績を称える銅像がニューケンジントンのバレー高校に建てられた。式典が同校の9月に行われたフットボールの試合の際行われ、ピッツバーグ・スティーラーズのオーナー、ダン・ルーニー、アフリカ系アメリカ人QBとして初めてプロフットボール殿堂入りを果たしたウォーレン・ムーンによるスローワーを初めとして何人ものアフリカ系アメリカ人QBへの感謝の念をこめたスピーチが行われた。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference