コンテンツにスキップ

ウィリー・アイバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリー・アイバー
Willy Aybar
タンパベイ・レイズ時代
(2009年5月12日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ペラビア州バニ
生年月日 (1983-03-09) 1983年3月9日(41歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手
プロ入り 2000年
初出場 2005年8月31日 シカゴ・カブス
最終出場 2010年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2009年

ウィリー・デル・ヘスース・アイバー・マルケス(Willy Del Jesus Aybar Marquez、1983年3月9日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州バニ出身の元プロ野球選手内野手)。右投げ両打ち。

弟も同じくプロ野球選手のエリック・アイバー

経歴

[編集]

ドジャース時代

[編集]

2000年ロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、プロ入りを果たした。

2005年8月31日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビューを果たした。短い期間ながら打率.326、打点10、3盗塁と結果を残した。シーズン終了時点で正三塁手の候補者の1人であったが、ドジャースは正三塁手としてビル・ミラーと契約した。また控えとしてラモン・マルティネスと契約したため、アイバーの出場機会は失われた。さらにアイバー自身もオープン戦で打率.216と結果を残すことができなかった。

2006年5月12日、ミラーが膝の内視鏡手術で故障者リストに入ったことにより三塁手として先発出場を果たした。

ブレーブス時代

[編集]

2006年7月28日にダニス・バエスと共にウィルソン・ベテミットとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。

2007年4月15日、アイバーは故障した手の治療を無断で欠席したことによりアトランタ・ブレーブスから3試合の出場停止処分を受けた[1]。さらに出場停止処分明けとなった4月18日にも無断欠場を行ったため、チームは無期限の出場停止処分を下した[2]。結局8月4日に処分が解かれ3Aでプレーすることになった。しかし8月14日、シーズン絶望となる右手の負傷をおってしまい、2007年はアイバーにとって失意の年となってしまった。

レイズ時代

[編集]

2008年1月17日にジェフ・リッジウェイとのトレードで、チェイス・フォンテインと共にタンパベイ・レイズへ移籍した。

2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[3]。第2ラウンド進出をかけたオランダ戦では同点で迎えた延長11回裏にサヨナラ失策を犯し、チームの予選敗退を招いてしまった。

シーズンでは一塁手、二塁手、三塁手のユーティリティとして初の100試合以上出場を果たし、本塁打数と打点でも自己新記録をマークした。

2010年は5月下旬に解雇されたパット・バレルに代わり対左のDHとして起用され、得点圏打率.280と勝負強さを発揮し自己最多の打点を記録した。オフには年俸220万ドルの球団オプションが行使されなかったためFAとなった。

ラッツ時代

[編集]

2011年1月11日に独立リーグ・ノース・アメリカン・リーグエドモントン・キャピタルズと契約を結んだが、カナダ政府が滞在ビザの発行を許可しなかった為、放出された。その後、同じノース・アメリカン・リーグのユマ・デザート・ラッツと契約を結んでプレーした。

ドルフィンズ時代

[編集]

2012年は、メキシカンリーグシウダーデルカルメン・ドルフィンズでプレーした。

2013年は所属球団がなかった。2014年11月には2014年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球ドミニカ共和国代表に選出された。同大会で銅メダルを獲得した。

ライオンズ時代

[編集]

2015年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約。6月9日に自由契約となった。

カウボーイズ時代

[編集]

2015年6月12日にラグナ・カウボーイズと契約。7月11日に解雇となる。

選手としての特徴

[編集]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
2005 LAD 26 105 86 12 28 8 0 1 39 10 3 1 0 0 18 0 1 11 0 .326 .448 .453 .901
2006 43 151 128 15 32 12 0 3 53 22 1 0 2 0 18 0 3 17 5 .250 .356 .414 .770
ATL 36 127 115 17 36 6 0 1 45 8 0 2 1 0 10 0 1 19 2 .313 .373 .391 .764
'06計 79 278 243 32 68 18 0 4 98 30 1 2 3 0 28 0 4 36 7 .280 .364 .403 .767
2008 TB 95 362 324 33 82 17 2 10 133 33 2 2 1 1 32 3 4 44 7 .253 .327 .410 .737
2009 105 336 296 38 75 12 0 12 123 41 1 0 1 3 34 2 2 54 4 .253 .331 .416 .747
2010 100 309 270 22 62 13 0 6 93 43 0 0 2 4 30 1 3 61 4 .230 .309 .344 .654
MLB:5年 405 1390 1219 137 315 68 2 33 486 157 7 5 7 8 142 6 14 206 22 .258 .341 .399 .739

年度別守備成績

[編集]


一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS)
















































2005 LAD - 6 2 6 0 1 1.000 20 16 35 2 3 .962 -
2006 - 15 25 42 1 11 .985 29 9 50 5 2 .922 -
ATL - - 32 14 40 3 4 .947 -
'06計 - 15 25 42 1 11 .985 61 23 90 8 6 .934 -
2008 TB 19 144 11 0 10 1.000 10 17 19 0 4 1.000 41 29 84 5 12 .958 2 2 6 0 1 1.000
2009 31 168 18 1 16 .995 28 35 46 5 13 .942 18 8 26 2 2 .944 -
2010 3 13 1 0 1 1.000 9 2 5 0 0 1.000 7 0 6 1 0 .857 -
MLB 53 325 30 1 27 .997 68 81 118 6 29 .971 147 76 241 18 23 .946 2 2 6 0 1 1.000

背番号

[編集]
  • 49(2005年 - 2006年途中)
  • 14(2006年途中 - 同年終了)
  • 16(2008年 - 2010年)

代表歴

[編集]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]