ウィリアム・ベンジャミン・メーソン
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ウィリアム・ベンジャミン・メーソン(英: William Benjamin Mason、1853年2月6日 - 1923年9月1日)は明治時代にお雇い外国人として来日したイギリスの電信技師、英語教師である。
経歴・人物
[編集]イングランドのノーフォーク州の生まれ。明治8年(1875年)に日本政府により工部省の電信取扱方としてリチャード・アビーと共に来日した[1][注 1]。
長崎電信分局に勤めモールス信号の改良などを指導し、電信事業の発達に貢献した[1][2][3]。明治18年(1885年)の工部省廃省後には、逓信省の東京電信学校の教授となり、電信技術者の養成に寄与した[1][2][3]。明治26年(1893年)からは第一高等学校で英語の教鞭を執り、神戸で発行されていた英字新聞の編集を支援し、バジル・ホール・チェンバレンとの共著による英文日本旅行案内を刊行した[1]。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時に圧死し、横浜の外国人墓地に葬られた[1]。