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ウィリアム・ヘッジス=ホワイト (第3代バントリー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代バントリー伯爵ウィリアム・ヘンリー・ヘア・ヘッジス=ホワイト英語: William Henry Hare Hedges-White, 3rd Earl of Bantry1801年11月10日 ダブリン1884年1月15日 バントリー英語版)は、アイルランド貴族。1869年から1884年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

生涯

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初代バントリー伯爵リチャード・ホワイトと妻マーガレット・アン(Margaret Anne、旧姓ヘア(Hare)、1779年 – 1835年1月19日、初代リストーエル伯爵ウィリアム・ヘアの娘)の息子として、1801年11月10日にダブリンで生まれた[1]ハンプトン英語版のバックランド・スクール(Buckland School)で教育を受けた後、1821年2月26日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学、6月8日にダウニング・カレッジ英語版に転じ、1823年にM.A.の学位を修得した[2]

1840年9月7日、国王の認可状を得て、母方のおじでホワイトに領地を贈与したロバート・ヘッジス・エア(Robert Hedges Eyre)への記念として「ヘッジス」を姓に加えた[1]

1848年、コーク県長官英語版を務めた[1]。ほかにもコーク県治安判事副統監を務めた[3]

1854年から1857年までウェスト・コーク民兵砲兵隊(West Cork Militia Artillery)の副隊長を務めた[2]

1868年7月16日に兄リチャードが死去すると、バントリー伯爵位を継承した[1]。1869年にアイルランド貴族代表議員に選出され、議会では保守党に属した[1]

1876年時点でコーク県に69,500エーカーの領地を所有しており、合計で年収14,561ポンド相当だった[3]。これは1883年時点でも全く同じだった[1]

1884年1月15日にコーク県バントリー・ハウスで死去、同名の息子ウィリアム・ヘンリー・ヘアが爵位を継承した[1]

家族

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1845年4月16日、ジェーン・ハーバート(Jane Herbert、1898年7月7日没、チャールズ・ジョン・ハーバートの長女)と結婚[1]、1男5女をもうけた[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 415–416.
  2. ^ a b "WHITE (post HEDGES-WHITE), The Hon. (WHT821WH)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b De Burgh, U. H. Hussey (1878). The Landowners of Ireland (英語). Dublin: Hodges, Foster, and Figgis. p. 19.
  4. ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 183.
  5. ^ Sharkey, Joan Ussher (2002). St. Anne's: The Story of a Guinness Estate (英語). Woodfield Press. p. 73. ISBN 978-0-95342934-9
アイルランドの爵位
先代
リチャード・ホワイト
バントリー伯爵
1868年 – 1884年
次代
ウィリアム・ヘッジス=ホワイト