ウィリアム・センピル (第2代センピル卿)
第2代センピル卿ウィリアム・センピル(英: William Sempill, 2nd Lord Sempill、1552年6月3日没)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]初代センピル卿ジョン・センピルと1人目の妻マーガレット(1504年4月21日と1506年2月16日の間に没、サー・ロバート・コルヴィルの娘)の長男として生まれた[1]。
1513年9月9日に父がフロドゥンの戦いで戦死すると、センピル卿位を継承した[1]。1514年7月12日、スコットランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。父の死後、第2代センピル卿は父の遺産をめぐり父の2人目の妻マーガレット(1519年3月15日以降没、ジェームズ・クライトンの娘)と裁判した[2]。その後、1523年2月12日にエアシャーのプレヴィク(Previk)の領地をジョン・クロフォード(John Crawford)から購入した[2]。
大逆罪の疑いにより1525年9月8日と1526年6月21日の2度にわたって召喚を受けた[1]。前者では第2代カセルス伯爵ギルバート・ケネディとともに、後者では義父の初代エグリントン伯爵ヒュー・モンゴメリーとともに召喚された[2]。
カニンガム家との争いにより[2]、ウィリアム・カニンガム(William Cunynghame)を殺害した容疑をかけられたが、1534年2月26日に無罪放免された[1]。
1537年7月17日のグラームズ夫人ジャネットの裁判で裁判員を務めた[1]。
1540年3月18日、それまでの犯罪のうち大逆罪以外のものについて赦免を受けた[2]。
スコットランド女王メアリーとイングランド王太子エドワード(のちの国王エドワード6世)の婚約が提案されたとき、第2代センピル卿は1543年8月25日に婚約に賛成した[1]。
1552年6月3日にエディンバラで死去、長男ロバートが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1517年7月20日までにマーガレット・モンゴメリー(Margaret Montgomerie、1518年7月31日と1523年2月12日の間に没、初代エグリントン伯爵ヒュー・モンゴメリーの娘)と結婚[1]、5男2女をもうけた[2]。
- ロバート(1505年ごろ – 1573年8月1日と1576年1月17日の間) - 第3代センピル卿[2]
- デイヴィッド(1553年3月12日以降没[2])
- ニニアン(1563年2月23日以降没) - 庶子を2人もうけ、1554年4月9日に認知して嫡子とした[2]
- ウィリアム(1576年12月3日没) - おそらく子供なし[2]
- ピーター(1558年10月18日以降没) - 1544年5月、エディンバラ城総督を務めた[2]
- ヘレン - 第3代カスカート卿アラン・カスカート(1547年9月10日、ピンキーの戦いで戦死)と結婚、子供あり[2]
- メアリー - サー・ジョン・スターリング(Sir John Stirling)と結婚したとされる[2]
1523年2月12日までにエリザベス・アーノット(Elizabeth Arnot、1539年3月18日以降没、ジョン・アーノットの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
1541年以降にマリオン・クロフォード(Marion Crawford、1555年11月8日以降没[2]、トマス・クロフォードの未亡人、ヒュー・モンゴメリー(初代エグリントン伯爵の孫)の娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。センピル卿の死後、マリオンは1553年8月31日と1556年12月20日の間にジョン・キャンベル(John Campbell)と再婚した[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 622–623.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 535–538.
スコットランドの爵位 | ||
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