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ウィリアム・コートネイ (第2代準男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代準男爵英語版サー・ウィリアム・コートネイ英語: Sir William Courtenay, 2nd Baronet1676年3月11日1735年10月6日)は、イギリスのジェントリトーリー党の政治家で、1701年から1710年までと1712年から1735年まで庶民院議員を務めた。死去から1世紀ほど経過した1831年、貴族院の裁定により法律上の第6代デヴォン伯爵として承認された[1]

生涯

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フランシス・コートネイ(1652年2月27日洗礼 – 1699年4月1日[2]初代準男爵サー・ウィリアム・コートネイ英語版の息子[1])とメアリー・ベーヴィー(Mary Boevey、ウィリアム・ベーヴィーの娘)の息子として[3]、1676年3月11日に生まれた[4]。1695年5月27日、オックスフォード大学エクセター・カレッジに入学した[5]

祖父にあたる初代準男爵は1684年にハニトン英語版の領地を失い、1697年に取り戻していたが、ウィリアム・コートネイがハニトン選挙区英語版での影響力を回復するために1701年1月イングランド総選挙英語版で立候補した結果は敗北だった[4]。その直後、カウンティ選挙区であるデヴォン選挙区英語版で当選を果たした[4]。議会ではウィリアム3世の「大借款」(Great Mortgage)を支持すると予想されたが、コートネイは後に戦争準備に反対した[4]。同年12月にロバート・ハーレーが作成した議員リストではトーリー党所属とされた[4]。翌年8月4日に祖父が死去すると、準男爵の爵位を継承した[1]

1710年イギリス総選挙で議席を第4代準男爵サー・ウィリアム・ポール英語版に譲ったが、1712年7月にポールの官職就任により補選が行われると、コートネイは立候補して当選、議員に復帰した[4]。この頃より「ハノーヴァー派トーリー党」(ハノーヴァー朝のグレートブリテン国王即位を支持するトーリー党員)の一員になったが[4]、1715年以降の投票では常に政府に反対した[6]。また、デヴォン選挙区のほかにハニトン選挙区での同時立候補も続き、1713年イギリス総選挙では落選した[4]1715年イギリス総選挙では当選した(コートネイはデヴォン選挙区の代表として議員を務めることを選択した)[6]。1722年のアタベリー陰謀事件ではアタベリーの代理人と接触していたという[6]

1714年から1716年までデヴォン統監英語版を務めた[1]

1735年10月6日に死去[4]、息子ウィリアムが爵位を継承した[1]

家族

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1704年7月20日、アン・バーティー(Anne Bertie、1718年10月31日没?、初代アビンドン伯爵ジェームズ・バーティー英語版の娘)と結婚[1]、下記の子女をもうけた[3]

  • メアリー(1705年8月19日 – 1705年8月24日)
  • ウィリアム(1705年9月3日 – ?) - 子供なし
  • ジェームズ(1707年 – 1726年1月7日)
  • アンナ・ソフィア(1708年1月9日 – 1745年10月8日)
  • ウィリアム(1709年 – 1762年) - 第3代準男爵、後に初代コートネイ子爵に叙爵。法律上の第7代デヴォン伯爵
  • エレノラ(Eleanora、1710年2月4日 – 1764年) - 1734年6月10日、ジョン・バセット(John Basset)と結婚
  • ブリジット(1712年5月1日 – 1790年3月7日) - 1734年、ウィリアム・イルバート(William Ilbert)と結婚
  • ヘンリー・レジナルド英語版(1714年 – 1763年) - 庶民院議員。第10代デヴォン伯爵ウィリアム・コートネイの祖父
  • イザベラ(1716年7月16日 – ?) - 1744年5月14日、ジョン・アンドリュー(John Andrew、1772年没)と結婚
  • メアリー(1717年11月19日 – 1754年) - 1735年10月1日、ジョン・ラングドン(John Langdon)と結婚。その後、ジョン・デイヴィー(John Davie)と再婚
  • エリザベス(1718年 – ?) - 早世
  • ペレグリン(Peregrine、1720年5月11日 – 1786年12月2日) - 1751年、ルーシー・インクルドン(Lucy Incledon、1778年12月2日没)と結婚。1780年2月18日、オーガスタ・ボーモント(Augusta Beaumont、1785年没)と再婚

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 333–336.
  2. ^ Ferris, John. P. (1983). "COURTENAY, Francis (1652-99), of Powderham Castle, Devon.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年9月18日閲覧
  3. ^ a b "Devon, Earl of (E, 1553)". Cracroft's Peerage (英語). 1 July 2019. 2019年8月31日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i Cruickshanks, Eveline; Hanham, Andrew A. (2002). "COURTENAY, William (1676-1735), of Powderham Castle, Devon". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年8月31日閲覧
  5. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Colericke-Coverley". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 304–337.
  6. ^ a b c Cruickshanks, Eveline (1970). "COURTENAY, Sir William, 2nd Bt. (1676-1735), of Powderham Castle, Devon.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年8月31日閲覧
イングランド議会 (en
先代
トマス・ドルー
サミュエル・ロール
庶民院議員(デヴォン選挙区英語版選出)
1701年 – 1707年
同職:サミュエル・ロール 1701年
サー・ジョン・ポール 1701年 – 1702年
ロバート・ロール英語版 1702年 – 1707年
次代
グレートブリテン議会
グレートブリテン議会英語版
先代
イングランド議会
庶民院議員(デヴォン選挙区英語版選出)
1707年 – 1710年
同職:ロバート・ロール英語版
次代
サー・ウィリアム・ポール準男爵英語版
ジョン・ロール英語版
先代
サー・ウィリアム・ポール準男爵英語版
ジョン・ロール英語版
庶民院議員(デヴォン選挙区英語版選出)
1712年 – 1735年
同職:ジョン・ロール英語版 1712年 – 1713年
サー・コップルストーン・バンプフィールド準男爵英語版 1713年 – 1727年
ジョン・ロール英語版 1727年 – 1730年
ヘンリー・ロール英語版 1730年 – 1735年
次代
ヘンリー・ロール英語版
ジョン・バンプフィールド英語版
先代
サー・ウィリアム・ドレイク準男爵英語版
ジェームズ・シェパード英語版
庶民院議員(ハニトン選挙区英語版選出)
1715年 – 1716年
同職:ウィリアム・ヨング英語版
次代
ウィリアム・ヨング英語版
サー・ウィリアム・ポール準男爵英語版
名誉職
先代
ポーレット伯爵
デヴォン統監英語版
1714年 – 1716年
次代
カートレット男爵
イングランドの爵位
先代
ウィリアム・コートネイ英語版
デヴォン伯爵
法律上
1702年 – 1735年
次代
ウィリアム・コートネイ
イングランドの準男爵
先代
ウィリアム・コートネイ英語版
(パウダーラム城の)準男爵英語版
1702年 – 1735年
次代
ウィリアム・コートネイ