イヴ・イェルサン
イヴ・イェルサン(Yves Yersin、1942年10月4日 - 2018年11月15日)は、スイスの映画監督、テレビプロデューサーで、長篇劇映画『ささやかな遁走』(1979年)で知られる。
来歴・人物
[編集]スイスのヴォー州ローザンヌ生まれ。父は彫刻家で画家のアルベール=E・イェルサン、母はマルグリット(旧姓アエビ)。1959年 - 1961年、ヴォー州ヴヴェにあるヴェヴェ写真学校で写真を学ぶ。連邦資格取得。1962年、広告写真を専攻、1963年 - 1964年、カメラマンとなる。
1964年、ローザンヌでの「スイス博(Expo64)」でセノグラフィ(舞台監督)、ディアプロラマ(Diaporama、スライドショー)の「ポリヴィジョン Polyvision」の演出時の演出家ルネ・クルーの助手。ONST館で、64台の映写機を使用し、直径35メートル、水平360度・垂直180度の映像ドームを稼動させた。
同1964年からバーゼルのスイス工芸大衆伝統学院(l'Institut suisse des Arts et Traditions populaires)のためにドキュメンタリーの演出を始める。1967年、映画製作会社「ミロス・フィルム」(レ・ヴェリエール、ローザンヌ)設立に参加し、同社製作のクロード・シャンピオン、フランシス・ロイセール、ジャック・サンドスとオムニバス映画『Quatre d'entre elles』で劇映画の演出をする。また同年、H・R・ギーガー、フレディ・ムーラー、フリッツ・E・メーダーと『Swiss Made』を共同監督する。またこの時期はスイスのテレビ局でフリーランスの編集技師をしていた。
1968年、 アラン・タネール、ジャン=ルイ・ロワ、ミシェル・ステー、クロード・ゴレッタ、ジャン=ジャック・ラグランジュが設立した製作会社「グループ5 Groupe de 5」に、1971年、ラグランジュに代わって参加[注 1]。
1971年、映画製作会社「ネモ・フィルム」(チューリッヒ)設立に参加。1972年から1977年までの時期は、フリーランスのテレビ演出家であった。1977年、映画製作会社「フィルム・エ・ヴィデオ・コレクティフ」(ローザンヌ)設立に参加。
1979年、劇映画『ささやかな遁走』を脚本・監督、編集も手がける。同作は、第32回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品され、ロカルノ国際映画祭でイェルサンはエキュメリック賞、主演のミシェル・ロバンが銅豹賞をそれぞれ受賞した。
1980年、撮影機材会社「フィルム・エ・ヴィデオ・コレクティフ・イマージュ」(ローザンヌ)、長篇映画に特化した製作会社「フィルム・エ・ヴィデオ・プロデュクシオン」(ローザンヌ)設立に参加。
1981年、ヴォー州ロールに住むジャン=リュック・ゴダール監督がローザンヌ市に依頼されて監督した短篇『フレディ・ビュアシュへの手紙』のなかで、ゴダールが「イヴ」と名を呼ぶ。それが、このローザンヌ生まれの地元の映画監督イヴ・イェルサンである。同作は、ゴダールと彼のパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルの「ソニマージュ」社と、イェルサンの「フィルム・エ・ヴィデオ・プロデュクシオン」社の共同製作だった。
1980年から1983年にかけて、アジア諸国、アメリカ、カナダ、中央アメリカを2年間旅する。1983年 - 1984年、カリフォルニア大学バークレー校で語学と映画を学び、ニューヨークに移り、ジャン・ルノワール監督の作品のリメイクとして長篇劇映画『Les Missionnaires』を撮る。
1985年、ローザンヌに戻り、映画製作会社「シネ=マニュファクチュール」(ローザンヌ)設立に参加。さらに仲間の監督たちと「映画のためのヴォー州基金」を設立。ヴォー州立ローザンヌ美術学校に音響映像情報学科を設立、演出コースを担当。1986年、学科長に就任(1986年 - 1993年)
スイス映画監督協会の代表を歴任(1975年 - 1976年)。連邦映画委員会メンバーに就任(1995年 - )。ミエヴィル監督の『そして愛に至る』(2000年)に共同出資している「フォンダシオン・ヴォードワーズ」が、彼の設立した「映画のためのヴォー州基金」である。
2018年11月15日にボルム(フランス語: Baulmes)の自宅にて死去。76歳没[1]。
フィルモグラフィー
[編集]- Le pannier à viande ドキュメンタリー 1964年 - 1965年、共同監督ジャクリーヌ・ヴーヴ
- Les cloches des vaches 民族誌映画 1966年
- Le licou 民族誌映画 1967年
- Chaînes et clous 民族誌映画 1967年
- Le tannerie de la Sarraz 民族誌映画 1967年
- Valvieja ドキュメンタリー 1967年
- Angèle オムニバス劇映画『Quatre d'entre elles』の第4話 1967年
- Swiss Made 1967年 製作・脚本・監督 共同監督H・R・ギーガー、フレディ・ムーラー、フリッツ・E・メーダー
- 1981 - Der Neinsager (Celui qui dit non) 短篇 1968年 - 1969年
- L'Huilier 民族誌映画 1968年 - 1969年
- Les boîtes à vacherin 民族誌映画 1969年 - 1970年
- les sangles à vacherin 民族誌映画 1970年
- Une fromagerie du Jura 民族誌映画 1970年
- Le cordonnier ambulant du Lötschental 民族誌映画 1970年
- La chapelère du Lötschental 民族誌映画 1970年
- le four en pierre olaire 民族誌映画 1970年
- La passementière 民族誌映画 1972年
- Les derniers passementiers ドキュメンタリー 1972年 - 1973年
- Die Letzten Heimposamenter 1974年
- Le reveil de l'ordre (Elections en Allemagne) テレビ映画『Temps présent』 1976年
- Le prix du divorce テレビ映画『A bon entendeur...』 1976年
- ささやかな遁走 Les Petites Fugues 長篇劇映画 1974年 - 1979年 脚本・監督・編集
- Suède (Situation économique en Suède) テレビ映画『Temps présent』 1979年
- Inventair lausannois ドキュメンタリー 1981年
- La passion selon St-Mathieu ビデオ映画 1981年 - 1982年
- L'allegement 1982年 共同脚本 監督マルセル・シューバッハ
- Les Missionnaires 長篇劇映画 1984年
- L'heure des choix ドキュメンタリー 1984年 - 1985年
- 弟が結婚! Mon frère se marie 2006年 編集監修 監督ジャン=ステファーヌ・ブロン 仏スイス合作
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 仏語版WikipediaYves Yersinではミシェル・ステーがクロード・ステーと誤植されていたので修正した。同Alain Tannerにはイェルサンの代わりにジャン=ジャック・ラグランジュが加えられていた。実際は1971年にイェルサンがラグランジュと交代しているので事実に従って文面を修正した。
出典
[編集]- ^ “Yves Yersin, réalisateur des "Petites Fugues", est décédé” (フランス語). rts.ch. (2018年11月19日) 2018年11月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- Biographie - スイス脚本監督協会公式 仏語/独語
- イヴ・イェルサン - IMDb