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インド鉄道WCM3形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インド鉄道WCM3形電気機関車
基本情報
運用者 インドの旗インド鉄道
製造所 日立製作所
製造年 1958年
製造数 3両
主要諸元
軸配置 C'C'
軌間 1,676 mm
広軌
電気方式 直流3,000 V(架空電車線方式
  ↓
直流1,500 V(架空電車線方式
全長 19,600 mm(64 ft 3 in)
全幅 3,050 mm(10 ft)
全高 3,860 mm(12 ft 8 in)
自重 113.1 t
車輪径 1,219 mm
軸重 18.83 t
主電動機 日立製作所
HS-373-Ar
主電動機出力 447.4 kW(600 HP)、800 rpm(1時間定格出力)
298.3 kW(400 HP)、927 rpm(連続出力)
歯車比 51:16
制動装置 真空ブレーキ
直通空気ブレーキ
手ブレーキ
設計最高速度 120.0 km/h(毎時75.0マイル)
定格速度 57.3 km/h(毎時35.8マイル)
定格出力 2684.5 kw(3,600 HP)
備考 数値は[1]に基づく。
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インド鉄道WCM3形電気機関車(インドてつどうWCM3がたでんききかんしゃ)は、日本の電機メーカーである日立製作所インド鉄道向けに製造した直流電気機関車。ハイフンを入れてWCM-3形とも呼ばれ、第二次世界大戦後、完全に独立した日本における初の輸出電気機関車である[2][注釈 1]

概要

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インド鉄道の路線の電化はイギリス領インド帝国時代の1925年におけるボンベイ都市圏の直流1,500 V電化に始まり、1958年にはカルカッタ(現:コルカタ)地域についても直流3,000 V電化が行われる事となった。それまで導入された電気機関車(WCM1形およびWCM2形)はかつての宗主国であったイギリスの鉄道車両メーカーが製造したものであったが、それに続いて1958年に製造されたWCM3形は日立製作所が受注を獲得した。ただし、インド鉄道の規格に合わせ制動装置など一部部品についてはインド鉄道側の要望によりイギリス企業のものを用いている[3]

車体は前後にボンネットを有する箱型で、側面窓は3つである。車内には電動機3台や抵抗器などが設置され、送風機付き電動発電機により室内から空気を吸い込まず内部への埃の侵入を防ぐ構造となっている[1]

台車についてはイコライザー式の3軸ボギー台車を2つ搭載しており、半径175 m(573 ft)の曲線を安全に通過できる設計となっている。一体鋳鋼製の大型台車枠など部品は日立製がほとんどだが、軸受についてはイギリスのテムケン社のローラーベアリングを使用している。また制動装置もウェスチングハウスのイギリス支社製のものを採用しており、機関車単体は真空ブレーキを用いる一方、連結する客車や貨車には空気ブレーキを使用する[4]

主電動機は、急行旅客列車から貨物列車まで様々な用途に使用される事を踏まえ、製造当時の日本製主電動機では最大容量となる、1時間定格出力600 HP・800 rpmのHS-373-Arを採用している[5]

なお、形式名の「WCM」は、「広軌(W)直流(C)貨客両用(M)機関車」と言う意味である[6]

運用

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1958年の登場以降カルカッタの直流電化路線で使用されていたが、後にボンベイ(現:ムンバイ)の直流1,500 V電化区間へ移籍し、それに伴う降圧化工事も実施された。以降は小運転や入れ換え用に従事し、2014年の時点で全車両が廃車・解体されている[7]

関連項目

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  • WCM4形 - WCM3形と同様、日立製作所で製造された直流電気機関車[7]

注釈

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  1. ^ 1946年三菱重工業(三原製作所)と東芝から連合軍軍政期朝鮮朝鮮総督府鉄道デロイ形電気機関車の増備車が、また1949年には本形式と同じ日立製作所からソビエト連邦へ3両の直流電気機関車が輸出されたが、この当時の日本はGHQの支配下にあった

脚注

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参考資料

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  • 石田周二、笠井健次郎『交通ブックス 124 電気機関車とディーゼル機関車』成山堂書店、2015年6月。ISBN 978-4-425-76231-6