イルティス (砲艦)
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イルティス SMS Iltis | |
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砲艦イルティス(1902年) | |
基本情報 | |
建造所 | シーヒャウ社ダンツィヒ造船所 |
運用者 | ドイツ帝国海軍 |
艦種 | イルティス級砲艦 |
艦歴 | |
起工 | 1897年 |
進水 | 1898年8月4日 |
就役 | 1898年12月1日 |
最期 | 1914年9月28日に自沈 |
要目 | |
排水量 | 1,048トン |
長さ | 65.2メートル |
幅 | 9.1メートル |
吃水 | 3.59メートル |
推進 |
形式不明石炭専焼缶4基 +直立型三段膨張式レシプロ機関2基2軸推進 |
速力 | 14.8ノット |
航続距離 | 9ノットで3,080海里 |
乗員 | 士官、兵員129名 |
搭載人員 | 士官9名、兵員121名 |
兵装 |
10.5cm(40口径)単装速射砲2基 オチキス 3.7cm(23口径)回転式機砲6基 |
イルティス(ドイツ語: SMS Iltis)は、ドイツ帝国海軍のイルティス級砲艦。
経歴
[編集]イルティスは1897年にシーヒャウ社ダンツィヒ造船所で起工された。1898年8月4日に進水し、12月1日にドイツ帝国海軍で運用が開始された。
イルティスはまずアジアに拠点を置く東洋艦隊へ派遣された[1]。その他にも防護巡洋艦カイゼリン・アウグスタ・ハンザ・ヘルタ・イレーネ、非防護巡洋艦ゲフィオン、砲艦ヤグアルなどが派遣された[2]が、間もなく清で義和団事件が勃発すると、ヴィルヘルム2世は八カ国連合軍に加わり義和団の反乱を鎮圧する構えを取った。そのためイルティスはアルフレート・フォン・ヴァルダーゼー指揮の下、ブランデンブルク級戦艦4隻を中心とする大艦隊に組み込まれた[3]。
第一次世界大戦勃発直後の1914年、軽巡洋艦エムデンがロシア帝国の貨客汽船リャザンを拿捕した。青島に係留されたリャザンは、砲艦イルティス・ファーターラント、非防護巡洋艦コルモランなどの兵士や兵装を搭載し、仮装巡洋艦コルモランへと再建造された[4]。そのため、兵士や兵装などを抜かれたイルティスは無用となり、1914年9月28日に自沈処分された。イルティスの姉妹艦であるヤグアル、ティーガー、ルクスも青島の戦いの最中に自沈処分されている[5]。
脚注
[編集]- ^ Gröner, pp. 142–153
- ^ Perry, p. 28
- ^ Herwig, p. 106
- ^ Hildebrand, Röhr, & Steinmetz, p. 196
- ^ Gröner, p. 143
参考文献
[編集]- Gardiner, Robert, ed (1979). Conway's All the World's Fighting Ships: 1860–1905. London: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-133-5
- Gröner, Erich (1990). German Warships: 1815–1945. Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-790-9
- Herwig, Holger (1998) [1980]. "Luxury" Fleet: The Imperial German Navy 1888–1918. Amherst: Humanity Books. ISBN 978-1-57392-286-9
- Hildebrand, Hans H.; Röhr, Albert; Steinmetz, Hans-Otto (1993). Die Deutschen Kriegsschiffe. 2. Ratingen: Mundus Verlag. ISBN 978-3-8364-9743-5
- Perry, Michael (2001). Peking 1900: the Boxer rebellion. Oxford: Osprey Publishing. ISBN 978-1-84176-181-7