イズナール・デジャルダン
イズナール・デジャルダン Isnard Desjardins | |
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アルフレッド・ボレル作のメダイヨン | |
生誕 |
Joseph Isnard Louis Desjardins 1814年1月14日 フランス帝国・パリ |
死没 |
1894年11月11日 (80歳没) フランス共和国 ライ=レ=ローズ[1] |
国籍 | フランス |
著名な実績 | 版画 |
運動・動向 |
エッチング リトグラフ クロモタイポグラフィ |
受賞 | パリ万国博覧会 (1855年) |
影響を受けた 芸術家 |
アントワーヌ=ジャン・グロ オーギュスト・フォシュリー |
イズナール・デジャルダン (仏:Isnard Desjardins、1814年1月14日 - 1894年11月11日) は、フランスの版画家。1845年に亜鉛版を用いたカラー印刷技法「クロモタイポグラフィ」を開発した。
彼自身の知名度はそれほど高くないが、彼の姓を冠した「デジャルダン・プロセス」はカラー印刷がまだ一般的ではなかった19世紀後半の印刷業界において人気があった。
生涯
[編集]デジャルダンは始めパリ国立高等美術学校で画家のアントワーヌ=ジャン・グロと版画家のオーギュスト・フォシュリー(Auguste Fauchery、1798-1843)に師事した。彼は歴史画を習い、のちにエッチングを専攻し[2]、複製版画も学んだ。
1845年に彼は独自にクロモタイポグラフィによる印刷技法を完成し、1855年のパリ万博で2つのメダルを獲得した[3]。彼のクロモタイポグラフィで印刷された最初の絵画は、アレクサンドル・マリ・ギルマン (1847年)、ウジェーヌ・ドラクロワ (1850年)、アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン、そしてルイ・ル・ポワトヴァンの作品であった。
「デジャルダン作の複製画」は人気を得て、彫版の技法は異なるものの、クロモリトグラフでも印刷された[4]。そこで彼はおもに J. Desjardin と署名している[5]。 その後、彼は自分の作画精神をより明確にするために、カンヴァスに直接クロモタイポグラフィで印刷することを試みた[6]。
デジャルダンの工業化された工程は、デジャルダン・グラブレとも呼ばれ、例として定期刊行物の「ル・マガザン・デドモアゼル」におけるアデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズの絵画の印刷に用いられ[8]、子供向けの本の印刷にも使用された。
彼は1894年に死去した。モンマルトル墓地の6区にある彼の墓にはアルフレッド・ボレルが作成したメダイヨンが設置されている。
脚注
[編集]- ^ Archives du Val-de-Marne, acte de décès n°15 dressé le 12/11/1894, vues 21 et 22 / 118
- ^ Portrait gravé de Vincenzo Bellini (1870), fonds BnF, sur Gallica.
- ^ La Lanterne, nécrologie, 19 novembre 1894, page 3, sur Gallica.
- ^ La Grande Encyclopédie : inventaire raisonné des sciences, des lettres et des arts, Paris, H. Lamirault, tome 14, page 249, sur Gallica.
- ^ Cf. exemple de chromotypographie sur Antiqbook.com.
- ^ « Reproduction des œuvres d'art », article dans l'Encyclopédie Universalis (lire extrait en ligne).
- ^ 一部の商用サイトにある記述とは異なり、ここではステンシルテンプレートや水彩の技法は使用されていない。
- ^ Le Magasin des demoiselles, notice du catalogue de la BNF, en ligne.