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イコトイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「イコトイ」(蠣崎波響夷酋列像」より)

イコトイ(乙箇吐壹)は江戸時代中期のアイヌの首長。アッケシ(厚岸)の乙名。

事績

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天明5年(1785年最上徳内は師の本多利明に代わって幕府の蝦夷地探検隊に参加し、山口鉄五郎隊に人夫として加わった。徳内は、青島俊蔵らとともに釧路から厚岸根室まで探索、東蝦夷地の地理やアイヌの生活・風俗などを調査し、さらに千島列島を探検したが、徳内らを案内して国後島に渡ったのがイコトイであった[1]。徳内はそこで引き返し、松前で越冬したが、翌天明6年(1786年)には単身で再び国後島へ渡り、イコトイらとともに択捉島得撫島にも渡った[1]

松前藩家老で、画家としても知られる蠣崎波響が連作肖像画「夷酋列像」12名中の1人に描いた[注釈 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ イコトイの母、チキリアシカイも「夷酋列像」に描かれている。

出典

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参考文献

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  • 賀川隆行『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』集英社、1992年7月。ISBN 4-08-195014-8