イグナティ・ネステロフ
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
イグナティウス・ミハイロヴィチ・ネステロフ Ignatius Mikhailovich Nesterov | |||||
ラテン文字 | Ignatiy NESTEROV | |||||
ロシア語 | Игнатий Михайлович Нестеров | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウズベキスタン | |||||
生年月日 | 1983年6月20日(41歳) | |||||
出身地 | ウズベク・ソビエト社会主義共和国タシュケント | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | PFCキジルクム・ザラフシャン | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴2 | ||||||
2002-2019 | ウズベキスタン | 106 (0) | ||||
2. 2019年1月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イグナティ・ミハイロヴィチ・ネステロフ(ウズベク語: Ignatiy Mikhailovich Nesterov / Игнатий Михайлович Нестеров, 1983年6月20日 - )は、ウズベキスタン・タシュケント出身のサッカー選手。元ウズベキスタン代表。PFCロコモティフ・タシュケント所属。ポジションはゴールキーパー。ロシア系である。
AFCアジアカップの大会最多出場記録保持者(5回)である。
他にも2010 FIFAワールドカップ・最終予選[1]、2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選[2]で正GKを務め、AFCアジアカップ2011ではウズベキスタン代表を4位に導いている[3][4]。
所属クラブ
[編集]- PFCディナモ・サマルカンド 2001
- FCパフタコール・タシュケント 2002-2009
- FCブニョドコル 2009-2014
- PFCロコモティフ・タシュケント 2014-2019
- オホド・クラブ 2019
- PFCロコモティフ・タシュケント 2019-2020
- PFCキジルクム・ザラフシャン 2020-
経歴
[編集]2002年、FCパフタコール・タシュケントと契約。チームでは正ゴールキーパーとして活躍。
2009年7月、FCブニョドコルと3年半契約。
2013年12月、PFCロコモティフ・タシュケントと契約。
2019年、オホド・クラブと契約。
2019年1月、AFCアジアカップ2019開催中のドーピング検査で、薬物の陽性反応が出てドーピング違反をしていた事が報じられた。医療スタッフの許可なく減量の為に使用したと認めており、8ヶ月失格の処分を下された[5]。
脚注
[編集]獲得タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FCパフタコール・タシュケント
- ウズベク・リーグ 優勝 (6):2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007
- ウズベキスタン・カップ 優勝 (6):2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007
- CISカップ: 2007
- FCブニョドコル
- ウズベク・リーグ 優勝 (3):2009, 2010, 2011
- ウズベキスタン・カップ 優勝 (2):2010, 2012
- PFCロコモティフ・タシュケント
- ウズベク・リーグ 優勝 (3):2016, 2017, 2018
- ウズベキスタン・カップ 優勝 (2):2014, 2016
脚注
[編集]- ^ “代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 日本サッカー協会”. samuraiblue.jp. 2024年4月29日閲覧。
- ^ Strack-Zimmermann, Benjamin. “Uzbekistan vs. Qatar” (英語). www.national-football-teams.com. 2024年4月29日閲覧。
- ^ “朴智星不在も韓国3位死守/アジア杯 - アジア杯2011”. nikkansports.com. 2024年4月29日閲覧。
- ^ “South Korea 3-2 Uzbekistan (Jan 28, 2011) Final Score” (英語). ESPN. 2024年4月29日閲覧。
- ^ [1]
外部リンク
[編集]- イグナティ・ネステロフ - National-Football-Teams.com