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アーチボルド・ケネディ (第3代エイルザ侯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第3代エイルザ侯爵、1921年撮影。

第3代エイルザ侯爵アーチボルド・ケネディ英語: Archibald Kennedy, 3rd Marquess of Ailsa1847年9月1日1938年4月9日)は、イギリスの貴族。1919年から1937年までエアシャー統監を務めた[1]

生涯

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アンソニー・ケアリー・スタンナス(Anthony Carey Stannus)による肖像画、1875年。

第2代エイルザ侯爵アーチボルド・ケネディと妻ジュリア(Julia、旧姓ジェフソン(Jephson)、1899年1月11日没、初代準男爵サー・ラルフ・ジェフソンの次女)の長男として、1847年9月1日に生まれた[2]イートン・カレッジで教育を受けた[2]

1866年8月3日、Ensign and Lieutenantへの辞令を購入して、コールドストリームガーズに配属された[3]。1870年3月16日、Lieutenant and Captain(大尉)への辞令を購入して昇進した[4]。同年5月に軍務から引退した[5]

1868年12月8日にエアシャー副統監に任命された後[6]、1919年11月16日から1937年2月18日までエアシャー統監を務めた[7]

1870年3月20日に父が死去すると、エイルザ侯爵位を継承した[2]。1883年時点でエアシャーに76,015エーカーの領地を所有し、合計で年収35,825ポンド相当だった[2]

フランシス・パーシー・ワイルド(Francis Percy Wild)による肖像画、1901年。

1887年12月9日、Royal Naval Artillery VolunteersLieutenant Commandingに任命された[8]。1886年3月29日、Honoary Commanderに昇進した[9]。1904年6月16日にRoyal Naval Volunteer Reserveの名誉司令官に任命され[10]、1921年10月6日に名誉大佐に任命された[11]

1904年、グラスゴー大学よりLL.D.の名誉学位を授与された[1]

1938年4月9日に死去、1人目の妻との間の息子アーチボルドが爵位を継承した[12]

家族

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1871年3月7日、エヴリン・ステュアート(Evelyn Stuart、1848年6月24日 – 1888年7月26日、第12代ブランタイヤ卿チャールズ・ステュアート英語版の娘)と結婚[2]、3男2女をもうけた[1]

エイルザ侯爵夫人イザベラ、1902年8月11日撮影。

1891年11月3日、イザベラ・マクマスター(Isabella MacMaster、1945年12月9日没、ヒュー・マクマスターの娘)と再婚[2][12]、1男1女をもうけた[1]

  • ヒュー(1895年1月19日 – 1970年4月27日) - 1925年4月14日、キャサリン・ルイーザ・クレア・アザートン(Katharine Louisa Clare Atherton、1998年以降没、フランシス・ヘンリー・アザートンの末娘)と結婚、子供あり[1]
  • マージョリー(Marjory、1898年9月4日 – ?) - 1921年4月21日、サー・ローレンス・ピアース・ブルック・メリアム(Sir Laurence Pierce Brooke Merriam、1966年7月27日没、チャールズ・ピアース・メリアムの息子)と結婚、子供あり[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 42. ISBN 2-940085-02-1
  2. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 68.
  3. ^ "No. 23147". The London Gazette (英語). 3 August 1866. p. 4349.
  4. ^ "No. 23598". The London Gazette (英語). 15 March 1870. p. 1736.
  5. ^ "No. 23616". The London Gazette (英語). 17 May 1870. p. 2586.
  6. ^ "No. 23448". The London Gazette (英語). 8 December 1868. p. 6529.
  7. ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月18日閲覧
  8. ^ "No. 25766". The London Gazette (英語). 13 December 1887. p. 6939.
  9. ^ "No. 25573". The London Gazette (英語). 30 March 1886. p. 1535.
  10. ^ "No. 27686". The London Gazette (英語). 17 June 1904. p. 3860.
  11. ^ "No. 32490". The London Gazette (英語). 18 October 1921. p. 8205.
  12. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 12–13.

関連図書

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関連項目

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外部リンク

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名誉職
先代
エグリントン伯爵英語版
エアシャー統監
1919年 – 1937年
次代
サー・チャールズ・ファーグソン準男爵英語版
イギリスの爵位
先代
アーチボルド・ケネディ
エイルザ侯爵
1870年 – 1938年
次代
アーチボルド・ケネディ